2002年 6月 24日 月曜日

城山の緑


 『文明としての江戸システム』のなかに江戸時代の緑の状況が描かれていた。江戸時代の都市は現代の都市に比べて圧倒的に緑が豊かだった。それに比して、江戸時代の山々は現代日本の山々に比べはるかに裸山が多かったという。

  例えば、山腹から掘り出される砂鉄を原料とする「タタラ吹き製鉄」が大量の燃料源を必要とした。タタラ吹き業者は山を買い取り、買い取った山を丸裸にした。瀬戸内海の「白砂青松」の青松はこうして出来た人工の裸地に新たに侵入し君臨した松たちの一族だった。

 江戸時代の緑については私も以前から気になっていることがある。松山城の緑である。

 松山城は築城400年ということでいろいろ記念行事をやっているらしい。松山城は、ちょうどこの季節、城山全体が青葉若葉に覆われ、植物たちの旺盛なエネルギーを感じさせてくれている。

 この城が実用に供されていたころの城山はどんな姿だったのだろうか。今のように緑滴る山色であったのだろうか。松山城の昔の姿を描く絵があるとついそれを確認したくなるのだがどうもはっきりしない。

 そもそも城は防衛戦の都合を優先して作られているはずであるから、その原理で推察すると、まず、城山は原生林に近い状態であるほど出入が難しく、外部から攻められにくいと言えよう。ところが、防戦側が射る矢も茂った樹木にさえぎられて通りにくくなるから、積極的な防戦は難しくなる。また、山に火を付けられたりすると城山の木々はドンドン燃えあがり、守り方は火あぶりにされかねない。

 一方、隠密や刺客の徘徊を防止するという観点からすると城山は裸山に近い方が管理しやすいにちがいない。

 こんなふうにあれこれ考えてみると、実用時代の松山城は、裸山とは言わぬまでも、いまより緑の少ない、見とおしのよくきく山だったのではないかと思われる。

 いずれ推察の域を脱しないヨタ話なのであるが、どなたかこの辺の事情にお詳しいかたがいらっしゃったらご教示願いたい。メール