2002年 7月 8日 月曜日

熊沢蕃山


 「江戸時代の緑」の続き。『文明としての江戸システム』からもう少しレポートする。

 江戸時代のインフラストラクチャー建設のための木材消費は莫大なものであった。城下町建設、街道、橋、用水施設…。1700年時点では木材供給地が北は蝦夷・松前、西は対馬、南は種子島、屋久島にまで広がっていたという。森林の伐採は当然山の保水力を低下させた。流水は森林地帯の土を平野に流しだし洪水を頻発させた。現在と同じである。

 そこで熊沢蕃山(1619〜1691)は『大学惑問』のなかで次のように説いている。

 
山茂りて 山谷より 土砂を 出さずば、川は 一水一水に 土砂は 海に 落(ち)て 深く 成るべければ、洪水の憂へも なかるべし。富裕の 大業を 生ずる事 挙げて 数えがたし。
 山に木々が茂り、川の水が土を運ばなくなれば、水は川底の土を海へ流しだす。川は深くなる一方で堤防の必要さえなくなる。今、長野で争われているダム論争の一方はこの熊沢蕃山の流派である。日本人はこんなことはとっくに知っていたのである。