2002年 8月 11日 日曜日

黄海南北銃撃戦 その後


 【7月11日の日記の補充】。6月29日の黄海での南北銃撃戦をめぐるその後(7月中旬〜8月上旬)の動きを 27項目 書き足した。7月11日の日記の表の中のの部分がそれである。

 早春の野にまばらに咲いていた南北和解の草花が、近くに落ちた雷(交戦)とその後のぐずついた天気(対立)のあと、春一番(遺憾表明)を到来を知るや、一気に百花繚乱の季節を迎えたような政治情勢である。
 あるいは、調子の悪かったオートバイを蹴っ飛ばしてみたら、とたんにここちよいエンジン音が聞けるようになったような感じでもある。
 あるいはまた、いろんなおもちゃが雑然と放り込まれていたおもちゃ箱を、ガチャガチャとゆすってみたら、ぴったり納まってしまったような趣でもある。

 朝鮮は古より外交の国である。ということは、言葉がものを言う国である。朝鮮(DPRK)のあの「遺憾表明」は、「起死回生の策」であったのか、それとも「シナリオどおり」であったのか。咲き乱れる南北和解の美しい花々を眺めながら首をかしげるのである。