墓地の入り口に威風堂々と建てられている墓碑は、昭和12年の上海事変時の戦没者のものである。昭和12年の戦没者のものは、日中戦争最初の戦死者ということもあって国家の弔慰金も多く、立派な墓が多いのはこれまで見てきた通りである。
碑文は当時の村長の想によるものらしい。筆は僧侶が取った。丁重な扱いである。
先の墓標の上に位置するもので、これも立派なものである。昭和17年、確か演習中の戦没者だったと記憶する。
これは軍人墓ではなく神道の墓である。
「もしもの大事典 お墓の実用知識」 によれば、神道型の墓標は
特別に定められたものはありません。一般的な形としては「天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」を模したと言われる四面錐体型があります。とのこと。(このwebsiteは松原満紀さんに教えてもらいました。)
「天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」は後に「草薙の剣」と呼ばれることになる剣。天皇家の宝物の一つに数えられているが、天武天皇はこの剣のたたりで病気になった。そんなこともあって、本来は天皇家とは縁のなかったものではないかと言われている。漢の宝剣、斬蛇剣(ざんだけん)に比定されたものらしい。