植民地時代の朝鮮での神社・神祠の設置数 (昭和9年末から18年末まで)

1998年6月14日


 (一) 朝鮮総督府が出版した『朝鮮事情』(昭和十年版〜昭和十九年版)から、朝鮮における神社・神祠等の設置数の推移をまとめてみた。
 
(1)表中、「-」は該当のページが破り取られているため不明の個所、( )の中の数字は建設予定、あるいは建設中である。


(2)表中の官幣大社の1はソウル南山の「朝鮮神宮」である。また(1)は、扶余に建設が予定されたもの。


(3)国幣小社の2は、京城神社と釜山の龍頭山神社(江戸時代対馬藩の役人が常時500人近く駐在していた地域の裏山。現在は公園となっており釜山タワーがそびえたっている)、4はこれら2社に大邱神社と平壌神社の2社が加えられた。

 
神社数 神祠数 官幣大社数 国幣小社数 護国神社数
1934 昭和9年末 50 216
1935 昭和10年末 51 266
1936 昭和11年末 51 287
1937 昭和12年末 52 311
1938 昭和13年末 - - -
1939 昭和14年末 54 470 1+(1)
1940 昭和15年末 62 604 1+(1)
1941 昭和16年末 62 702 1+(1)
1942 昭和17年末 62 817 1+(1)
1943 昭和18年末 57 854 1+(1) (2)


 (二)「昭和16年度版(昭和十五年十二月発行)」の巻頭写真。

「昭和16年版」の巻頭写真は


○施政三十周年式典
○青少年学徒に賜りたる勅語奉読式
○朝鮮神宮(表参道)
○小学校・教室
○陸軍兵志願者訓練所・鮮展「弾琴図」・美術館
○軍事援護(労務奉仕)
○創氏届出・京城創氏相談所
○苗代(忘暮楼注:苗代を作る米作は日本流である)
○水利組合貯水池(忘暮楼注:苗代のために貯水池を作った)
など多数。


(三)ほかの年度版の巻頭写真も紹介しておこう。朝鮮総督府の施政方針の変化がおのずとうかがえる。


昭和十年版から十四年版までは
@朝鮮神宮表参道
A朝鮮総督府
B京城遠望(十四年版は「朝鮮教育令改正を奉ずる新聞切り抜き)」
の三枚だった。


日中戦争開始直後の「昭和十五年版」と「昭和十六年版」は巻頭写真が様変わりし、上に紹介したように時局下朝鮮の諸相が飾られる。


太平洋戦争開始直後の「昭和十七年版」の巻頭写真は

○朝鮮神宮(表参道)
○皇国臣民誓詞ノ柱
○入営の旗(忘暮楼注:「祝入営張梭植君」の旗が翻っている。人影はない。)
○水豊ダムとその発電所
○勤労報国隊(朝鮮神宮)
など多数。

「昭和十八年版」と「昭和十九年版」は「官幣大社朝鮮神宮」一枚だけ。


(四)「朝鮮事情」昭和16年版では第14章が「神社・宗教」に当てられ、次のように記述されている。
一四 神社、宗教  本府は大正四年八月神社の創立及移転合併等に関する規則を定め、此の成規に遵由して神社を創立せるもの六二に上り、地方著名の都市には概ねその存置を見るに至れり。次に神祇を勧請して一般の礼拝に供する小設備の神祠は六百四所あり、是れ何れも他日神社となるべき体性を有するものである。  官幣大社朝鮮神宮(京城南山御鎮座)は朝鮮の總鎮守として天照大神、明治天皇の二柱を奉祀し、大正十四年十月十五日鎮座祭が執り行はせられ、爾来例祭を十月十七日と定め、勅使を差遣せらるることに御治定になった。また昭和十一年八月一日京城神社(京城倭城台鎮座)並びに龍頭山神社(釜山府弁天町鎮座)の両社をば国幣小社に列格仰出され、ついで昭和十二年五月十五日大邱神社(大邱府達城町鎮座)竝に平壌神社(平壌府慶上里鎮座)をも国幣小社に列格仰出され、尚昭和十四年六月十五日には官幣大社扶余神宮の御創立を仰出された。


(五)さらに、第15章「教育」の一項が「社会教化」が当てられており、そこにも神社に関する記述がある。

三 社会教化
イ. 国民精神の作興

ロ. 愛国日の制定実施
 神社神祠の参拝、国旗掲揚等の行事を強化することは皇国精神の涵養、内鮮一体の具現に資するところ尠くないから、各学校に於いて実施中の愛国日の内容を充実して一般民衆に及ぼすこととし、昭和十四年九月より毎日一日之を施行することに統一し、興亜奉公日として実行している。

ハ. 「皇国公民の誓詞」の普及

ニ. 皇国臣民体操の普及

ホ.国語普及


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