愛媛の軍人墓

伊予郡松前町
上高柳墓地


写真・データともに松原満紀さんのご提供です

墓地の入り口に林立する軍人墓

以下、松原さんのレポートです。
上高柳の軍人墓について調べましたのでお知らせします。

■■墓地入り口の墓■■

■写真の右の列手前から位階と死亡場所と期日、死亡時の年齢を示します。

・陸軍野戦重砲上等兵 昭和19年7月帰国、自宅療養。昭和26年5月死去。 30歳。
・陸軍兵長  昭和21年1月19日満州延吉で戦死。37歳。
・海軍軍属  佐世保の海軍建築部。昭和18年1月1日ニュ―ギニアにて空襲を受け戦死。30歳。
・陸軍歩兵上等兵 戦病送還。自宅療養中昭和22年3月死去。40歳。
・陸軍上等兵  昭和17年12月24日東部ニューギニア、キルワにて戦死。24歳。
・海軍軍属  昭和19年11月26日特務艦間宮が南方海域にて轟沈。戦死。34歳。

■写真左の列手前から

・陸軍上等兵 昭和19年11月17日中国広西省福江県で戦死。22歳。
・海軍水兵長 昭和20年10月15日朝鮮方面にて機雷爆発。死亡。19歳。
・海軍軍属  佐世保の海軍建築部。昭和18年1月1日ニューギニア、ブナ飛行場 建設中空襲にあい戦死。29歳。
・海軍軍属 佐世保の海軍建築部。昭和18年1月1日ニューギニア、ブナ飛行場 建設中空襲にあい戦死。30歳。
・海軍一等兵曹 重巡洋艦羽黒前部主砲担当。昭和19年11月25日比島沖開戦の際、砲塔に直撃弾を受け戦死。23歳。

|ここまでの11基が一緒につくられています。時期|    
|はまだ不明ですが昭和30年代か40年代でしょう|

□この11基のうち4基が松原だったので驚きました。私の親戚筋なのです。

□この左の列の奥に大きく写っているのは
・陸軍歩兵伍長  昭和13年2月24日中国で戦死。29歳。(墓は昭和15年の建立です。)            

(注)墓には「散華」とか書いてあるのを、「戦死」とか「死去」とか言い換えました。

■■この墓地には他に

累代墓の横に作られたものが5基あります。■■

・陸軍歩兵上等兵  昭和19年7月20日中国長沙にて戦死。34歳。(戦後の墓と思われる)
・陸軍兵長  昭和17年1月19日ルソン島カカヤン河渡河作戦の際戦死。26歳。(戦中の墓かと思われる)
・陸軍騎兵上等兵  明治35年12月応召39年1月凱旋。(戦中の墓と思われる。凱旋しているのになぜか軍人墓を建てている)
・海軍上等水兵  昭和19年10月24日戦傷死。 22歳。(墓は戦後か?)
・陸軍歩兵上等兵 昭和14年12月22日中国湖北省広済県にて戦死。23歳。(墓は戦中か?) 

□上高柳墓地には「奥津城」とかかれた墓がいくつかあります。神道の墓ですが、一基は鉾の形をしていますが他は普通の形です。神道の墓がみな鉾型でもないようです。

■■松前町大間の墓地■■

■松前町大間の墓地には鉾型の軍人墓が6基あります。それぞれ累代墓の隣に建ててあります。列にしてはありません。     

・陸軍兵長 昭和20年6月16日中支にて戦死。21歳。
・海軍二等機関兵 空母加賀に乗船。昭和17年6月5日東太平洋海戦で戦死。23歳。
・陸軍伍長  昭和19年10月27日南支零陵作戦にて戦死。28歳。
・海軍二等機関兵曹 昭和19年6月22日サイパン救援作戦にて戦死。24歳。(この2人の名は同じ一つの墓に併記されている。兄弟と思われる)
・海軍一等機関兵曹  昭和19年3月1日ソロモン群島方面の海戦で戦死。26歳。
・陸軍兵長  昭和20年8月14日満州小豆山東方にて戦死。37歳。
・陸軍兵長  昭和17年2月9日ルソン島バターン州バカツリにて戦死。33歳。
〜〜これらの他に明治の軍人の墓が一基あります〜〜
・陸軍近衛歩兵一等卒 明治26年志願応召、明治28年9月彰化野戦病院で死亡。23歳。(墓は明治32年建立。この墓は丈が高いので目立ちますが鉾型はしていません。)   

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