愛媛県温泉郡重信町牛渕に伊予十三仏で有名な隻手薬師(かたてやくし)がある。境内から県道を隔てて北側にかなり広い墓地があり、その西隅の一角が軍人墓となっている。全部で24、5基あり、これまで見たもののなかでも最大級である。
中央の英霊供養碑の右に見える背の高い墓碑は大正7年7月の徳山港沖での大事故の犠牲者のもの。「年表 日本の歴史 6」に次のような記述がある。
7・12 戦艦河内(かわち)、徳山湾停泊中爆発を起こし沈没、六百四十五人死傷2週間あとの7.23には富山県で米騒動が始まる、という時代である。
中央の英霊供養碑は戦後まもなく昭和二十二年建立。
東側の一般墓地から見た軍人墓。この墓地は一、ニ基を除いてすべての軍人墓がこのように1ヵ所に集められている。
軍人墓のうち最も背の高いのが、先述の大正7年の軍艦爆発事故でなくなった兵のもの。その右の二つは日露戦争のもの。あとはほとんどが太平洋戦争最末期のもので、フィリピン諸島やソロモン島など南方の島々で死んだ人がほとんどである。
軍人墓のなかにあったお地蔵さん。どなたの作品だろうか、細部まで丁寧に作ってある。
帰り道に見つけた石碑。ここは日蓮宗のお寺だが、石碑は、写真ではちょっとわかりにくいが、頭部ははっきり四面錐体になっている。この形、こうしてみると神道独自のものというわけでもないようだ。昭和8年の建立。