こどもがぐれてきたぞ

愛する子どもと何故いさかうのか。わが心の貧しさ、ことばの怖さ。

 

 
●ふうたろう?

   我が家の次男殿の現在の生きがいはバイクらしい。中卒後ある専門学校に通っていたが、結局落ち着かぬまま退学してしまい、その後はそれこそ「ふうたろう」とでも言うのであろう、仕事もまともにせずぶらぶらしていた。家にもたまにしか帰って来ない。どこを泊まり歩いているのかも分からない。親としては、こういう生活をしたことがないので、これでどうやって食って行けるのか頭をひねっている。
 新年に入ってから、次男殿は勇躍、瀬戸内海の向こうのF市へ出稼ぎに出掛けた。土木工事である。向こうへついた日に家へ電話がかかって来た。「元気にしている」とのこと。カミさんは宿泊先の電話番号を聞いているが教えてくれなかったらしい。「家に電話をするなんて珍しいこともあるもんだねえ」などと面白がりながら残りの家族は鍋をつついている。

 一週間してまた電話があった。「ガンガン仕事をしている。人間が変わったよ。」などと景気がいい。親を喜ばすのがうまい。

 
●やさしさの不思議 その1

 昨年の暮れ、ある猫ずきの同僚のお世話で、我が家に猫がやって来た。たくさんの持参缶を付けてもらってのお越し入り(といってもオス)である。夫婦はこの猫に「ミア」と言う名を付ける予定であった。「迷児(迷子のこと)」の韓国語の字音読みである。しかし、いざ決定という段になって、これはいかにもフラフラしている次男殿が連想されてつらいので止しにした。そのかわり、トラネコでもあるし、韓国語の「トラジ」(桔梗)とも通じて感じが良いというので「トラジ」とすることにした。

 さてくだんの猫好きの同僚のことであるが、彼は実は生徒をポカポカぶん殴るので有名な先生である。その先生に、私が「猫に首輪を付けてやりたいんだけど・・・」と相談すると、先生は即座に「それはよくない。なぜならネコちゃんというものは、ノラちゃんになることがあるものである。ノラちゃんになったときに首輪を付けて入ると、ネコちゃんの成長につれてその首輪がだんだん締まって来るのである。これが命取りになることがある。」と論旨明快にこう忠告してくれたのである。
 なんという優しさ。優しさというものはやはりまさしく想像力の問題であった。


●子育ての能力

 さて、こんな父親であるから、このごろになると、私の子育て能力についての同僚たちの批評を風の便りに聞き及ぶことになった。
 曰く、「みてみい、あいつは自分の子供の教育もまともにできとらせんじゃないか。云々。」と。これはまいった。教育に関する私の日ごろの大言壮語を聞いているならそう思って当然と言えば当然である。  私は確かに、自分の子供の気持ちをいまだ理解出来ずにいる。これは親として失格と言われて仕方がないことである。子育てができないものは教員をやめろ、おいうのであれば止めなければならないのかもしれない。しかし、自分の子育てのできないものは、いっちょう前の顔をして教育を語るな、と言うのであるならばこれは素直に受け入れられない。というのは、「出来の悪い子」(親ばかはこのように「  」を付ける)をもったお陰で、親たちの気持ちが理解出来易くなったからである。
 出来やすくなったついでに、私は講演まで引き受けてしまった。二年前のことである。
 厚顔無恥といわれても仕方ないが、自分の気持ちを一度しっかり見詰め直しておきたいという希望をもっていた矢先の講演依頼であったのでつい引き受けてしまったのである。いかその講演を再録して、私の人生の記録の一つとしたい。

 

 
●ここから本番です(^。^)

  

講演 『親として教師として今学びつつあること』

1998年 宇和島で
  

 ただ今ご紹介を頂きました尾上です。先日、県教組の書記長から宇和島へ行って話をしてくれないか、というお話がございまして、なぜ僕のようなもののところへそのような話が来たのか大いにとまどったわけですが、お話をお聞きしますとそれなりの事情がおありのようでして、つい私も男気を出しまして、お受けしたような次第です。ただ今司会者より韓国語が趣味とのご紹介せっかく頂きましたので、最初に韓国の教育事情についてお話をさせていただきましょう。
 私がひょんなことで韓国語の勉強を始めましたのが、四一歳の時でしたが、あちらの言葉がすこしずつ分かりかけてまいりますと、しきりに彼の地へ行きたくなりまして、私はそれまで外国旅行と言うものをしたことがございませんでしたが、四二歳の春、友人二人と共に韓国へでかけました。ここらがおかしいといえばおかしいのですが、どうせ行くなら自転車でと、その年と次の年と二年続けて韓国サイクリングを挙行いたしました。二回目の韓国サイクリングのおり初めてソウルに参りました。ソウルには、私が松山で通っておりますグッバイというスナックのおかみさん、ユンスクチャさんの妹さんがいらっしゃるというんで、そこをお訪ねして見ました。立派なマンションで、えらい歓待されまして恐縮したのですが、その妹さんのだんなさんがおっしゃったことを紹介してみたいと思うのです。
 もっともそのだんなさんは日本語を全くご存じでないので私の貧しい韓国語だけが頼りというたよりないやり取りでしたので、本当にこう言ったのかどうか心配もありはしますが、まあ大体間違いなかろうと思っております。

 ソウルの市民の普通の家庭の考えかたとして、
小学校、これを国民学校と呼んでおります、その小学校のあいだは主に習い事をさせる。そういえば、夕方のソウルの街には、バイオリンをぶら下げた子供によく会いますし、住宅街からはピアノの音が聞こえてまいります。テッコン道(日本の空手のようなものでしょうか)に通う子供も多いようです。
中学生になりますと、こんどは読書をさせる。
そして、高校に入れば、受験勉強に突入する。まあ、こんなスタイルが一般的だというんです。
我が日本の様子と比べてみますのに、なにかマトモなものがあるように感じられるのですが、皆様いかがお受け取りでしょうか。

 本日は「親として教師として今学びつつあること」という題目で一時間ほどお耳を汚したいと思います。

 
●人生というものの懐の深さ

  この題目でお話するためには、私の家庭について若干ご説明をして置いたほうが宜しいと思われますので、少し時間を頂きます。
 私は、大学五年生のとき、そのとし22歳で結婚致しました。そんなこともありまして、長男は現在21歳、福岡で半分アルバイトのような格好で仕事をしております。アルバイターというんでしょうか。次男が中三、末っ子が中二とまあそんなあんばいになっております。長男は福岡のある大学の二部に進んだのですが、結局退学しまして仕事を始めました。次男は、今高校進学の準備をしなければならない時期なのですが、いっこうにそれらしくなりませんで、大学へ行く気はほとんどないようです。私達夫婦は二人とも大学を出ておりますので、大学へ行きたがらない息子達の気持ちをはかりかねているわけですが、本人たちはそれなりに考えるところがあるのだろうと想像しておりますが、本当の所はよくわかりせん。
 

 何を学びつつあるか、という題を用意いたしましたのは、私がこれまでの教師としての生活、および子として親としての生活の中でどんなことを学んで来たか、それをお話してみようと思っているわけです。したがいまして、こうすれば立派な子供が育つといったお話は全然出てまいりません。ただ、どんな考えかたをすると、親が苦しくなるか、そんなお話になるのではないかと思っています。
 私が最近やっとわかりかけてきていること、そして世の親や教員たちにもわかってほしいと願うことは、人生というものの懐(ふところ)のふかさと言ったものです。
 一本の物差しで測れる紐とか糸のような世界を一次元の世界と言いますね。人生を一本の物差しで測ろうとしている時は、例えば、学力だけで、あるいはスポーツだけで子供の人生を見ようとしている時は、子供の人生を紐とか糸のようなものだと考えている事になります。自分の息子が何をしょうとしているのかわからず「こいつは一筋縄ではいかんやつやなあ」とつぶやいたりして親が悩んでいるときも、つまり一筋縄・一次元の物差しで子供を見てそれが故に悩んでいることになるわけです。
 「文武両道」ということばがありますが、二本の物差しで測ろうとするひとは、ひもや糸よりはましかもしれませんが,人生を紙切れ、紙切れは二次元ですね、紙切れのように考えている事になりますので、まあたいした違いは無いとも言えます。
 人生の懐の深さと言う言葉で私が言おうとしていることは、人生を測るためには、思いの外たくさんの物差しが必要なのだなあ、ということに尽きているのです。

 
●人生は取りかえしがつく

  これは「遺愛集」という歌集です。紹介する時間はありませんがすばらしい短歌がたくさん収録されています。この本はご存じの方も多いと思いますが、中村覚という死刑囚の短歌を集めたものです。中村さんの来歴については、「遺愛集」に「著者のこと」と題する紹介がございますので、それを読み上げてみます。

 昭和9年6月28八日生まれ、幼少を満州で育った。戦後父母とともに新潟県柏崎市に引き揚げたが母は疲労から結核になりまもなく亡くなった。本人も病弱で結核やカリエスになり、七年間もギブスをはめて育ったが小学校でも中学校でも成績は一番下だった。まわりから、うとんじられるとともに性格がすさみ転落の生活がはじまった。少年院にも入れられた。
 昭和三四年雨の夜、飢えにたえかねて農家に押し入り二千円を奪い、争ってその家の人を殺し私刑囚として獄につながれることになった。
 中学の頃、たったいちどだけほめられた記憶を忘れられず、獄中からその先生に手紙を出したことがきっかけになり、秘められたうたの才能の扉が開かれ、身も心も清められて行った。昭和42年11月2日小管にて処刑。

 「著者のこと」には、以上のように紹介されています。
 私がこの本に出会って思ったことは、人生は十分に取り返しのつくものだ、ということでした。人生を道にたとえることがありますが、決して単純な一本道ではない。人をあやめるといった取り返しのつかないことをしてしまっても、なおかつとりかえしのつく道なんだなあ、そんなふうに学びました。人を殺したことのない私の人生とこの殺人犯人の人生を比べてみて、私の人生のほうが素晴らしいとはいえないようにおもえてなりません。


●死刑台へ歩む人


 財田川事件で無実で死刑判決をうけておられ、長い戦いの末、死刑囚を収容する刑務所から解放された斎藤さんというかたのお話しを聞く機会がありましたが、そのときの斎藤さんのお言葉もわすれられません。  「死刑が執行されるとき死刑囚は廊下でほかの囚人にちらっと挨拶をしますが、絞首台のある部屋へ歩いていく彼らの後ろ姿は本当に神々しいものですよ」。斎藤さんはしみじみとそう言われました。「粛々と」ということばが最近よくつかわれますが、こういう場合にこそつかわれるべきことばなのかも知れません。過ちの多い人生でありましても、その死の時に当たって、人から神々しいと言われたとするなら、それはそれである種の立派な人生と言えるのではないか、わたしはそう思ったのでした。わたしが人生の懐の深さと言うときに頭に描いている土俵の俵、徳俵(とくだわら)というべきでしょうか、それはこんな所にあります。


お急ぎの方は戻ってください

 
●息子と首を絞めあう

 長男が高校二年の時だったと思いますが、恥ずかしい話ですが、わたしとこの長男で首の絞めあいをしたことがあります。その原因というのがこれまたお恥ずかしい話なんですが、長男が修学旅行にいくというんで準備のためにと小遣いをやったところ、自分では生活必需品だと思っているのでしょう、ヘヤードライヤーを買ってきたんです。それまでにも色々色々ありましたもので、私は猛烈にはらがたって、しかりつけたんです。「おまえは何をしに修学旅行にゆくんだ。お洒落をしにいくんか」と、まあ実にお恥ずかしい話ですが、そんな喧嘩をしまして、ついに本気で首のしめあいをはじめたわけです。「しかってくれ」とぼくをけしかけた女房も、おふくろも止めに入りますがしばらくはわあわあと首を絞めあっておりました。親子喧嘩が一段落しまして私はすっかり落ち込んでしまいました。

 職場へ行きましても何だか力がでませんで、憂鬱な日々が続いたのですが、この事件で結局私にとっては大事な二つの事を勉強しました。


●子どもの首を絞めて学んだこと その1 仏教では…

 一つは、怒りとは何かということでした。仏教では、…突然仏教が出てきまして、びっくりされるかたもいらっしゃるかも知れませんが、私はこのとき仏教に救いを求めたのでした。
「大乗起信論」という本を読んでおりましたら、こんなことが書いてありました。仏教では「瞋」ということばで怒りを表現していますが、その「瞋」というものは「自分に害を及ぼそうとするものに不利益なことを為そうとする気持ち」だというのです。僕はびっくりしました。私は子供の健やかな成長のためと思ってしかったつもりでしたのに、子供が私に害を与えようとしたから、子供に不利益を与えようとして子供の首を絞めた似すぎないと言うのです。
その「瞋」は実際には色々な形を取るのだそうで、忿怒の「忿」というのは「目の前で他人から害を与えられたとき、手や棒でもって懲罰を与えようとする」ものだそうで、これは、教師の体罰などが当て嵌まるかも知れません。手や棒ではなく、相手の急所をつくような荒々しい言葉を吐いて相手にかみ付く、そのお陰で共同生活が出来ない、というのもあるようです。これを、「悩」というんだそうです。いじめられっこがよくこういう状態になります。
「忿」が募りますと、「害」になるんだそうで、これは「自分に害を及ぼす者を殺したり、縛ったり、殴ったりする」のだそうです。私の行為はちょうどこの「害」に当て嵌まります。心に怒り「瞋」を抱きますと、それが「恨」となって心に敵意が残り、心安らかな生活が出来なくなる、と、まあこんなことが書いてありまして、なるほどそれで僕の生活は鬱鬱といているのか、と一々納得がいきました。要するに、私は、自分の都合で腹を立てているにいるに過ぎない、そこのところを自分としても一生懸命に考えました。
 ではどうしたら、この「瞋」から逃れることが出来るか、仏教が与えるその脱出策は、「忍辱」・恥を耐え忍んで心を動かさないことだそうです。そこで私は、亀のようにじっとしておりました。しかし、そこが凡人の辛いところですが、なかなか気持ちが収まってくれません。

   



●息子の首を絞めて学んだこと その2 同僚の話…

   そんなある日、私はある同僚の先生に愚痴を言いました。「息子がなあ、こまっとるんよ」。するとその先生が、「実はなあ、うちの息子は後四ケ月しか持たんといわれとるんよ。まもちゃん、(私のことですが)生きとったらええとせんといけんぜ。」とこう言われたのです。私は本当に恥ずかしい思いがしました。「生きとったらええとする」、ああこれが人を見る時の基本なんだなあ、この上に色々足してしまうから悩みが生まれてくるんだ。そう、感じ入ったのでした。
 別の知人の息子さんは、本当に好ましい青年でしたが、大学浪人中に気分転換のためでしょう、五〇ccのバイクにのって松山の郊外にあるダムのそばを走っておりましたときに、何かの拍子に事故を起こしまして崖を落ちてしまいまして、そのまま帰らぬ人となってしまいました。彼のお父さんやお母さんの悲しみに比べると、ドライヤーを買ってきたことに悲しむ私の気持ちなどは本当にものの数ではありません。最近ある人が同じことを言っておられました。この人の事はこのあとすぐご紹介したいと思っていますが、その方は同じことを「人間はいきていてなんぼのもんです」、大阪の方ですのでこのように言っておられました。これが「ドライヤー」事件から私が学んだ二つ目の教訓です。



親の言うようにはゼッタイしない

  私は「ドライヤー」事件の教訓を生かして、後の弟達については、高校生になったらもう何も言わないことにしょう、と決心しました。そして、そのことを中学生になった次男に宣言しました。「中学の内は親の義務教育だから色々注文をするぞ。しかし、高校になったらもう何も言わん。そのつもりで中学をすごしてくれ」と。

 次男は小学校のころは、素直で活発で、言わば優等生的な少年であったのですが、中学に入ってしばらくして、ふっとシラケ始めたのです。二年生になれば変わるかな、三年生になれば自覚するかな、そう思って見ていましたが、親の望むような前向きの生き方には背を向けたまま今日に至っております。私達夫婦は次男の豹変の原因が理解出来ませんでした。あんなに素直だった子が、どうしてタバコをすったり、髪を染めてみたり、勉強を投げ出してしまったりするようになったのだろう。

 そしてある日、私の心に例の「瞋」が又々沸き起こってきまして、結局この子とも一戦交えてしまいました。そのときの次男のせりふは「親の言うようには絶対にしない」と言うものでありました。そして、私はまた落ち込んでしまいました。まことに情けない父親であります。



●成績を上げようか、下げようか

  私は、新田教員組合の委員長をしているのですが、そんな関係もあって、先月岡山で開かれた全国私学父母懇談会という集会に参加いたしました。全国各地で活動している私学父母懇談会のお父さんやお母さんの自主的な、全国集会で三百名を上回る規模の集会でした。その時講演をなさったのが、先程「生きていてなんぼ」ということばをご紹介しました大阪の私立高槻高校の岡本先生という先生でした。

 この先生は、中学生二年生の時に結核にかかっていることが判りまして、そのまま入院生活に入りましてサナトリュウム生活を続けておられましたが、二十歳の時同室の人に因数分解を習い、簡単な問題が解けたので急に高校に行きたくなり、中学に復学し、高校に入学されたという方なんです。人生というものの懐の深さを身を持って示しておられる方のお一人です。この方の体験談の中で非常にショックを受けましたのは、高校に入って悩んだことの一つが、「成績を上げようか、上げまいか」という悩みであったというお話でした。一瞬耳を疑いました。そんな悩みって有りうるんだろうか。岡本先生のご説明はこうでした
。  「なにしろ二十歳で高校生になったのですから落第は絶対にしたくない。落第という言葉は恐怖に近い言葉だった。だから、勉強をしなければ、という気持ちはあった。しかし、勉強をして成績を上げると、親が喜んで、もっとやれ、やればできるんだから、大学へ行け、というだろう、これはたまらない。」
 こうして、成績を上げようか、下げようかと何度も迷った、といわれるのです。考えて見れば、例えばうちの次男の成績が非常に悪いのは、学習におけるツマヅキという問題もありはしましょうけれども、より根本的にはあの「親の言うようには絶対にしない」という言葉で分かりますように、人間関係・家族関係の問題であろうと思います。人間というものは、自分を守るために色々とほかの動物には見られない不思議な行動をするもののようですが、成績を下げるというのもその一つであるようです。成績の下がった状態で自分を守っている訳です。登校拒否症があるくらいですから、勉強拒否症があって当然なわけです。
 これはあながち理解できないことではありません。私はタバコがすきで、この嫌煙時代にまだタバコを吸っているのですが、禁煙も何回も試みました。しかし、禁煙するともうタバコが吸えない、今度吸うと回りのものからあれこれと言われるし、自分も情けない、吸ってるほうが気持ちが安定する、そんな気持ちが確かにあります。しなければならないと思われることを、しないことによって自分を守る、というわけです。これも私にとっては健康の問題というよりは、人間関係の問題と言うほうが当たっているようです。

 



●この歌を

 私は次男についてはこのように解釈することにしまして、現在は松山千春のこんな歌を歌って再起の時の来るのを待つことにしました。

 どんなに目を凝らしたなら あしたが見えるのだろう
 僕にもわからないけど 信じていたい
   何かがくるっただけさ よくある事さ
 せめて君の夢が 適うよう
 僕はうたい続ける この歌を

   どんなに耳を澄ませば 答えが分かるのだろう
 僕にも分からないけど 信じていたい
 素直に成れたらいいね 昔の君のように
 笑って話してくれた 昔の君に
 せめて君の夢が 適うよう
 僕はうたい続ける この歌を

   私の今日のお話は以上であります。私が何かを学びつつあるのは確かでありますが、何の解決も出来ておりません。人生の懐の深さを頼りにして、息子が「笑って話してくれた昔の君」になってくれる日をまちつづけている今日このごろでございます。

P/S 息子は今は完全に「笑って話してくれた昔の君」に戻ってくれました。まことに「歳月は薬だ(セウォリ ヤギダ)」という韓国のことわざのままです。うれしいです。

 
ありがとうございました 戻る