久しぶりの梅雨晴れ。長い雨でした。 悪条件の私立高校を土台にして、まあまあの条件の県立高校が成り立っているということを、くっきり表現したいのですが、上手く行かないで困っています。
6月21日、愛媛県知事が定例記者会見しました。
そのとき「学校の適正学級についてはどうか。」という質問が出されたようです。確かめていませんがきっと三十人学級のことだろうと思います。
質問に対して知事は
いずれにしても、今の問題は、国庫負担と地方交付税の裏打ち等々での財源措置が、国の標準で決まりますので、それに付加して、県がというのは、ちょっとしたことは可能だとしても、制度としては、将来的には膨大な財政負担を、しかも、県独自の財源で賄わなければならなくなるので難しいかなと思います。と答えています。
話はまた「78:22」になりますが、県当局が公立高校の入学定数の増加を極力避けてきた背景にある考え方がよく出ている答弁だと思います。
現在の私立高校生を県立高校で収容することになると「将来的には膨大な財政負担」がかぶさってくるわけで、「78:22」には県当局として大きなメリットがあるわけです。
この数回、この日記で言おうとしていることはそういうことです。
試みに、現在の規模で私立高校に一定数の高校生の教育を任せることでどのくらいのメリットがあるのか、計算してみました。その計算表が下の表です。
雑駁な計算からえられる結論は、私学に、一定額の助成金を支給しつつ一定数の生徒を担当させることによって、年間67億円の県費節約ができている、ということです。
この額は、愛媛県の災害復旧費(6,611,936円)全額に匹敵します。
以下平成7年度の数字による計算表です。(数字は私中高連「愛媛の私学」平成7年・9年から) ----
| @県立校生徒1人あたりの教育費 | 802,241円 約80万円 |
| A私立校生徒1人あたりの教育費 | 595.922円
約60万円 |
| B県立校生徒1人あたりの県費支出額 |
782.861円
約78万円 |
| C私立校生徒1人あたりの県費支出額 |
243.940円
約24万円 |
| D国公立校生徒数 |
46.114人
約4万6千人 |
| E私立校生徒数 |
13.078人
約1万3千人 |
| F高校生総数 |
59.192人
約5万9千人 |
| G県立校生のために 支出されている県費 |
@×D=
36,101,000,000円 約361億円 |
| H私立校生のために 支出されている県費 |
A×E=
3,190,000,000円 約32億円 |
| I上二つの合計= 県下の公私・高校生のために 支出されている県費 |
G+H円=
39,290,000,000円 約393億円 |
| J私立の生徒も全員県立校で 収容した場合の県費支出 (ただし、高校新設のための費用は ふくまない) |
B×F=
46.000.000.000円 約460億円 |
| K全員県立で収容の場合の県費増 |
J-I=
6,710,000,000円 |
もう一方の「ひそひそ話」というのは「78:22」という数字である。
愛媛県私中高連(私立中高当学校の校長会)の出している「愛媛の私学」をみると、公立高校と私立高校の入学生数比が出ているが、その比というのが「78:22」である。
| 入学年度 | 1年生の 生徒数比 国公:私 |
| 1976(昭和51)年度 | 79:21 |
| 1981(昭和56)年度 | 80:20 |
| 1986(昭和61)年度 | 79:21 |
| 1991(平成3)年度 | 76:24 |
| 1996(平成8)年度 | 78:22 |
年度によって78が77や79になることはあるが、最近は「78:22」の時が多い。
その整然とした数字を見ると、必ずや私学の経営者と県当局の間にかなりはっきりした約束事があるのだろうと思う。
中学卒業者数が減ってきている状況の中で、県立校がこれまでどおりのスタッフを確保しつつ、これまでどおりの定員で新入生を迎えるならば、公立校は「広き門」となりこれまでより入りやすくなる。
いまはなかなか入りにくいと言われる松山市内の公立普通科も入学しやすくなる。
……はずだが、実際は、減少期においても県当局は「78:22」踏襲し、一定の割合を私学へ「回して」きた。なぜこのような変てこなことをするのだろう。
私学の関係者は、これをあるいは県当局のお情けだとうけとったり、あるいは、急増期における私学の貢献
への恩返しだとうけとったりして、つい「ひそひそ話」にしてしまっているようだ。
しかし、これで結構県当局の身勝手な動機による生徒収容力操作なのではないかと思わせる数字がある。
それが、下の表(煩瑣を避けるために松山市内の普通科高校のみで作成)なのだが、この表を見ながら考えた私なりの解釈と意見を書いておく。
県当局は今日でも、私学の常態となっている40人以上学級や、50人超学級(例:新田高校 98年情報ビジネス・コース)、あるいは約60人学級(例:城南高校 96・99年度商業科)の存在には目をつぶっている。
資料 松山市内五校の生徒数の推移
| 平成 | 東高 | 西高 | 南高 | 北高 | 中央高 |
| 1年 |
1472 (33) |
1493 (33) |
1472 (33) |
1485 (33) |
1344 (30) |
| 1学級 生徒数 | 44.6 | 45.2 | 44.6 | 45.0 | 44.8 |
| 3年 |
1489 (33) |
1485 (33) |
1471 (34) |
1487 (33) |
1340 (30) |
| 1学級 生徒数 | 45.1 | 45.0 | 43.3 | 45.1 | 44.7 |
| 4年 |
1490 (33) |
1483 (33) |
1466 (33) |
1486 (33) |
1356 (30) |
| 1学級 生徒数 | 45.2 | 44.9 | 44.4 | 45.0 | 45.2 |
| 5年 |
1436 (33) |
1423 (33) |
1416 (33) |
1428 (33) |
1353 (30) |
| 1学級 生徒数 | 43.5 | 43.1 | 42.9 | 43.3 | 45.1 |
| 6 |
1379 (33) |
1368 (33) |
1364 (33) |
1367 (33) |
1348 (30) |
| 1学級 生徒数 | 41.8 | 41.5 | 41.3 | 41.4 | 44.9 |
| 7 |
1318 (33) |
1306 (33) |
1315 (33) |
1309 (33) |
1340 (30) |
| 1学級 生徒数 | 39.9 | 39.6 | 39.8 | 39.7 | 44.7 |
| 8 |
1315 (33) |
1316 (33) |
1322 (33) |
1315 (33) |
1287 (30) |
| 1学級 生徒数 | 39.8 | 39.9 | 40.1 | 39.8 | 42.9 |
| 9 |
1315 (33) |
1306 (33) |
1324 (33) |
1315 (33) |
1238 (30) |
| 1学級 生徒数 | 39.8 | 39.6 | 40.1 | 39.8 | 41.3 |
| 10 |
1315 (33) |
1306 (33) |
1317 (33) |
1313 (33) |
1182 (30) |
| 1学級 生徒数 | 39.8 | 39.6 | 39.9 | 39.8 | 39.4 |
私立高校には、経営者も教員も異口同音に憤慨する話題があるかと思えばり、異口同音(?)に声を潜めて語る話題があったりする。
今日は「異口同音の憤慨」のほう。
話は60年代の中卒者激増期にさかのぼる。
この時期、県民から公立高校増設の声が高まり大きな運動となった。県当局は、高校進学希望者の激増に機械的に対応すると、早晩到来する生徒減少期において適正な学校数、学級数、教員数を維持できなくなる、つまり将来それらが多すぎることになって県財政を圧迫したり、人事配置上の問題のでることを恐れた。県当局の「深慮」である。
そこで県は、高校新設や教員増員等を最小限とし、収容できない生徒はごっそりと私学へまわすことにした。
こうして娘や息子の学業成績が不振だと、学校への納付金が何倍にもはねあがるという奇怪な現象が一般化した。
県当局はこの方策によって教育関係の予算を絞り込むことに成功し、絞り込んだ予算の中で一定の水準の教育水準を維持できたわけである。
一方私立高校ときたら、高い授業料をとっても、県からいくばくかの補助金をもらっても、県立高校並みの教育条件にするには資金不足。そこで教室に50人〜60人と詰め込み、大量の時間講師を採用して人件費を浮かす。結果的には「悪かろう、高かろう」の陰口、私立高校へ行くのが恥を思われる状況を作ってしまった。
こういう状況に追い込まれながらも、ともかくもこのとき私学は、血の出るような努力で県当局の要請、県民の教育熱に応えたわけである。
それなのに……県当局の私学に対する支援が弱すぎる。特に今のように生徒数が減りつづけているとき、県はもっと積極的な私学振興策を打ち出してもらいたい。これが私学の経営者や教職員の「異口同音の憤慨」である。
廃校直前から立ち直った北海道余市高校校長の文章を紹介する。7月26日から松山で開かれる全私研に、北海道余市高校の仲間たちはどんなレポートをもって来てくれるのだろうか、楽しみである。
以下、深谷哲也校長の文章である。
北星学園余市高校の沿革
「本校は、10年前、廃校の危機の直面し、内外の多くの人々に支えられながら、九死に一生を得て生き返ったキリスト教主義の小さな学校である。
30年前の1965年、ベビーブームの余波を受けて、人口2万5千人の小さな町、余市町の誘致によって創立した。
一つの町に公立と私立の高校がそれぞれ1校ずつ存在することは、結局、公立高校を失敗した生徒たちが集まる高校として運命づけられ、生徒たちは、いろいろな意味で「劣等感」の塊とならざるを得ない状態におかれていた。
しかし、本校の教師集団は、そういう心に傷を持つ生徒の一人一人に寄り添いながら、彼らの「自立」を目指して支援してきた。にもかかわらず、近年の「少子化現象」は、「底辺校」といわれる高校から消滅させていく。
1987年、あらゆる努力にもかかわらず、学園理事会は「廃校」を決断しなければならないところに追いこまれた。
未曾有の生徒減の嵐の中で、「進学」や「スポーツ」や「管理」を看板に生き残ろうとする高校が多い中、そこからはじき出されてきた子供たちに寄り添いながら、その子供たちを立ち直らせ、自立させるための高校が全国で一つくらい生き残ってもよいのではないか、全国の”良心的な”マスコミ関係者や教育関係者に支えられて、日本で初めて「高校中退者も受け付けよう!」と決意したのが本校の教師集団であった。
1988年、本校は、奇跡的に廃校の危機から脱出し、現在では、前校(全国? 忘暮楼)からやってくる高校中退者、または、小中学校時代「不登校・登校拒否」をしていても”他のみんなと同じように高校に行きたい”という生徒を、その意欲を認めて受け入れている。」
学校長・深谷哲也 「学校の挑戦」教育資料出版会より
学園の沿革
1965年 4月
余市町の誘致により主に、余市、小樽近郊の生徒の受け皿として北星学園の7つ目の兄弟校で開校1965年12月
新校舎完成1967年11月
体育館完成1976年 4月
公選校長(第3代)馬場達氏就任1978年 1月
北大との共同研究始まる同年12月
「暴力追放宣言」を決議1980年 3月
研究紀要(創刊号)発行1984年10月
「授業でつっぱる」を出版1987年 9月
「北の大地に灯かかげて」を出版1988年 4月
全国から中退者受け入れの転・編入制度を実施<1990年 4月
服装自由化実施1991年 3月
深谷哲也氏 第4代校長に就任同年4月
完全週5日制実施同年7月 新校舎落成
1995年 2月
「やりなおさないか君らしさのために」出版1997年 1月
「学校の挑戦」出版
夜テレビで野球を見た。中日快勝。
勝った余裕で、野球のテーマについて。
ボールを使って前進する競技がたくさんあるが、たとえばラグビーのトライなどは、同じ前進でも英帝国主義の(?)「略奪」の臭いがする。
サッカーのシュートは、呪術的なインサートの趣がある(ちょっと下品でした)。
ゴルフのカップインも、似たような感じ。
こうやって比べてつくづく思うのは、野球のテーマが「帰郷」であることだ。「お土産」をもってホームベースを踏んだランナーのくつろいだ顔、家族のような顔で迎える同僚の笑顔。これらの顔はまさしく「帰郷」の顔なのだ。ついこっちまで微笑んでしまう。
今日は久しぶりに時間の余裕があったのでアイコンを作ってみた。このページの「BOBORO」と「できたて」がそれ。でき映えはイマイチだけどとりあえず試用。
一昨日の地労委第2回審問の文章をめぐって、精華高校ではひと騒動あったとか。
公開日記というだけあってたまには思わぬ波紋を呼ぶことがあるようだ。事情を聞いてみよう。
世間の営みに不可欠なものではあるんだけど、あればあったで、すこぶる世間を面倒にしているものがある。
国境線、人権、母性愛、家庭、学校、選挙、政党、正義感、愛、……
「善意」というものもその一つである。『広辞苑』はこれを「他人のためを思う心」とも説明している。
年間40日からある年次有給休暇は、職場によっては必ず消化しきるように叱咤激励されさえするのであるが、われわれの職場ではなかなか自由に取れない。その主たる原因は、教職員の「他人のためを思う心」、つまり善意である。自分が休めば同僚に、生徒管理のむつかしい自習時間が当たる。申し訳がない。
4時間授業が日常化するといっそう休みにくくなる。その結果、心もからだも慢性的な脱力・疲労感に覆われる。教育活動への前向きな取り組みが億劫になる。そこでMannerismだ。
「休みにくさ」を湧出するのは自分の心である。「万法是一心之作」(だったかな?)。私が自分の心を変えれば、つまりこの分野での「善意」を滅却するならば、うんと休みやすくなるわけだ。
自習時間が多くなると同僚の私に対する不満はしだいに募るかもしれない。この白眼視にじっと耐える。知らん顔する。鈍感になる。悪者になる。
ここが大切だ。この不満がある水準まで達すると、それはきっと変革の力になるはずだ。その日までじっと耐える。悪者になる値打ちはあるぞ。
…という作戦はどうだろう。自習問題を用意する、くらいの「善意」だけ残して決行してみるかなあ。
ただ、この作戦は、「あいつだけ楽をしているのはおかしい。わしも休むぞ。」という人が増えてこないと本当の力にならない、という弱点がある。まあ考えてみよう。
今日は「タナボタ」みたいないい話。
2時から今治精華高等学校不当労働行為事件の第2回審問(Hearing)があった。審問の会場は県庁別館のある会議室。この部屋がやたらと狭い。それで傍聴者が20人しか入れない。
5月19日の第1回審問では、愛媛私教連からの傍聴希望者が20人、学園側の傍聴希望者が4名いて、合計20名を越えたので抽選ということになった。
抽選の結果は、なんと、学園側の当選者が1人だけという気の毒なことになってしまった。
そんなことがあっての第2回審問。今回は前回の轍を踏まないようにということだろう、学園が14人の傍聴者を送り込んできた。組合側の2人、補佐人の校長を加えると常勤の教員・職員の過半数に当たる。傍聴希望者の大半はこの数年の間に精華に就職した若い先生たちだった。
聞いてみれば、学園は、今日の午後の授業を全部中止してこの大動員をかけてきたのだという。
学園は「1時間の授業の失念、それも就職以来初めての授業失念」を理由にして組合委員長を戒告処分に処した。その学園が、なんと午後の授業を全部放棄してしまうオオワザ。そのため急遽今日を清掃のボランティア活動の日にしてしまったのだった。
「タナボタ」というのはここから。
皮肉なことに、今回は傍聴希望者が合計19人だった。それで希望者全員が傍聴できることになった。
今日の陳述人は、精華高校・前校長の河合先生と精華教職組・書記長の伊川先生の二人。
河合前校長は、精華高校におけるこれまで懲戒処分の実態を証言され、生徒に対して「教員としてあるまじき行為」をしたということでPTA幹部から厳重な抗議を受けるにいたった前教頭(現校長)に対してさえ懲戒処分がなかったこと、理事長が学校財政を私物のように扱い、ある年の修学旅行の際には旅行業者に無心して80万円のピンはねを図ろうとしたこと、などを、精華高校の14名の先生方の前で、また補佐人として同席している現・校長の目の前で、詳細に証言された。
また、伊川先生も、自分に対する退職強要が執拗に恫喝的にすすめられたこと、それが組合活動を抑え込むためのものであったことを、現・校長の声色の再現(!)までして、これまた職場の過半数同席の場で、具体的に分かりやすく証言された。
『百聞は一見にしかず』。精華の過半数の教員が組合側の証言を、3時間にわたってじっくりと聞いてもらうという機会は、そうあるものではない。学園側は大動員の成功を喜んでいるのであろうけれど、われわれの喜びに比べてみてどうなのだろう。
審問のあとの愛媛私教連の慰労会が、学園の戦術的慶事と組合の戦略的慶事を合わせ寿(ことほ)いで、たいそう盛り上がったことはいうまでもない。こうして忘暮楼は、またしても「今世紀最後の酒」に酔いしれてしまったのだった。
あそうそう。所用のため審問を欠席した森理事長が、部屋を間違ってひょっこりわれわれの控室に顔を出したことを、備忘のために書き記しておこう。
3年生のあるクラス。今日から漢文「雑説」にはいる。週に2時間しかないクラスなので、期末試験までの3回の授業で仕上げなければならない。常時ホンマニうるさいクラスですので、さてどうなるやら。
「伯楽」の話だから、日頃自分にできることを探している生徒や、自分を信じたがっている生徒にはぴったりだ。「このクラスの中に国際的なギター弾きになる子が3人いる。でも、センセは伯楽じゃないからそれが誰かわからないんよねえ……」などと言いながら授業を進める。かなり乗ってくれる。
おっ、OとFがやっぱりしゃべり出したぞ。試みにOを教室から出してみることにした。
「お前が震源やないのー?ちょっと廊下へ出て参観者みたいな顔して授業見てて……」
Oは「出てみようわい」言いながらと素直に廊下にでる。この辺が変といえば変なのだけど……。しばらく静かになる。
そのうちFがしゃべり始める。「はああ、お前が原因やったか。今度はお前が出てみ……。Fが出たら静かになるんやないの……」
参観者、Fに交代。しばらく静かになるがまたざわめいてくる。Oだ。
「Oやな、震源わあ…」
「そうなんよ、僕が震源なんよ。あいつらやないんやがなあ……」
「ほんなら、おまえ、授業参観してみ…」
なるほど、本当に静かになった。本人がちゃんと自覚しているんやナア。と言うことは、忘暮楼の駐車とおなじで「確信犯」ってことか。
最後の余った時間でIに返り点を教える。全く分かっていないらしい。いつもはよく寝てくれるIだが、今日はうなづきながら聞いてくれる。分かるのは嬉しいもんね。もう一回教えたらきっとばっちりだろう。
「今世紀最後のお酒」をまた飲んでシマッテ、頭が重いのです。(~-~;; でも、昨夜のお酒は久しぶりにいい酒でした。
年をとるということは楽しみなこと。いろんなことがだんだん分かるようになってきますね。例えば自分の趣味がわかってきます。
これが自分の趣味だと自覚してきたことをあげて見ます。
韓国京畿道退村面の「ナヌムの家」の責任者ヘ・ジン師が、松山大で開かれた講演会で
私はこういう不幸の比べ方をしたことがなかったのでいささかたビックリしてしまったのでした。
次の文書は偽造文書です(^^;)。たまたま厚生省のHPから拾った原爆被爆者に関する文書なのですが、「原爆被爆者」を「元・軍隊『慰安婦』」に置換してみました。
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全国厚生関係部局長会議資料
平成10年1月20日(火)
厚生省保健医療局
企 画 課
1.元・軍隊「慰安婦」対策
元・軍隊「慰安婦」対策については、元・軍隊「慰安婦」の高齢化等に伴う保健、医療、福祉にわたる広範な需要に対応するため、元・軍隊「慰安婦」に対する援護に関する法律に基づき、各種施策の充実・強化を図ることとしている。平成10年度においては特に以下の点に留意し、その円滑な実施に努められたい。
(1) 平成10年4月からの各種手当及び葬祭料の引き上げに係る周知及び改訂手続等
(2) 元・軍隊「慰安婦」追悼平和祈念館の整備を含む元・軍隊「慰安婦」追悼事業等の推進
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なるほど、こう書いてみると、日本政府の被爆者に関するこの程度の配慮は当然元・軍隊「慰安婦」のみなさんに払われなくてはならない、と得心したのでした。また、この程度では被害者の気持ちは癒されることはないだろうなあ、と思いました。つまりへ・ジン師の比較の意味もわかるような気がしたのでした。
四国出身のボランティア・米倉まゆみさんが元・軍隊「慰安婦」の、キム・スンドクさんやペ・チュンヒさんたちたちといっしょに作ったかわいい茶碗でお茶を飲みながら、あらためて、元・軍隊「慰安婦」に謝罪し、補償する政府を作るためにがんばらなくては、と思いを深めました。
アテネの国際競技会男子百メートルでモーリス・グリーン(米国)が9秒79の世界新記録を樹立したそうです。それを記念して、これまでの世界記録を秒速に換算したものを、下に並べておきました。
これを見ても、今回のグリーンの記録の凄さが読み取れます。人類が、1988年に一度実現したものの、不正な業績として自浄的に放棄した記録を、11年かけて正式に回復したわけですね。
下の表で、オレンジ色の部分は一時的に秒速が落ちています。これは電気計測に移行して精度が1桁上がったので、たとえば10秒0が10秒04となったとするとコンマ04だけ記録が落ちたことになったわけです。
表を眺めながら思うことは、先端技術でしか確認できないような記録を競うことにどんな意味があるのだろうか、ということです。公平のために先端技術を使用するのは分かります。でも、記録を確認するためには先端技術が不可欠というのでは、これは、すでに末期症状ではないでしょうかねえ。
オリンピックでは、開会式の直後の最初の種目は100メートル走予選なんだそうですね。こいつが末期症状だとすると、「オリンピックはいらない」という忘暮楼の主張もいよいよ捨てがたいと言うわけです。
| 年 | 秒速 |
| 1921 | 9m62cm |
| 1930 | 9m71cm |
| 1936 | 9m80cm |
| 1956 | 9m90cm |
| 1960 | 10m00cm |
| 1968 | 10m10cm |
| 1968 | 10m05cm |
| 1983 | 10m07cm |
| 1988 | 10m08cm |
| 1991 | 10m14cm |
| 1991 | 10m14cm |
| 1994 | 10m15cm |
| 1996 | 10m16cm |
| 1999 | 10m21cm |
今日も4時間授業の日。6時間目の古文の授業で大失敗。
古文の「さながら」は、「まるで」ではなくて、「そのまま」だよ。そんな説明をしている最中におしゃべりしているやつがいる。
「授業中におしゃべりをするやつはサナガラ」とイヤミをいおうとしたら、先方がよく肥えた生徒で、つい「豚のようだ」といってしまった。
教室の雰囲気がさっと寒くなった。子供たちはやさしいんだなあ。「オイオイ」「エー」とか厳しい反応が波のように広がる。
当の生徒が、「にこやかに」対応してくれたからよかったものの、大反省である。フー。
上には上があるもんで、同僚の誠一チャンの毎週の授業担当時間はすごいぞ。
持ち時間は18時間なんだけど、例の土曜の振り替え授業があって、火曜日はロングホームが1時間あって、その上に補習が週2回ある。そこで、実際の授業は、
| 曜日 | 誠一チャン | 忘暮楼 |
| 月曜 | 隔週3時間か4時間 | 4時間 |
| 火曜 | 4時間 | 2時間 |
| 水曜 | 4時間 | 4時間 |
| 木曜 | 4時間 | 4時間 |
| 金曜 | 4時間 | 4時間 |
| 土曜 | 3時間 | 2時間 |
| 仮合計(第2・4土は休業) | 隔週22時間か23時間 | 19時間 |
同じ国語の教員でも特進コースの教員は授業担当時間数が15時間だというのは本当だろうか。にわかには信じがたい数字である。
21:45 学園祭展示物の作成完了。「新田生はこう考える! ガイドライン関連法、日の丸・君が代、軍隊『慰安婦』・・・」。中元一朗君、川本敦生君、鴨田隼君、松岡優君、ご苦労様でした。
明日の本番では、テレビ愛媛が取材にきてくれることになった。生徒達を中心に取材してもらうようにお願いしておいた。中元君たちの対応ぶりが楽しみ&心配。17日には松大でも展示することになった。
修理に出していたノートパソコン「アルマダ」がやっと直ったらしいが、まだ不安定とのこと。システムボードをかえる必要があるらしいが、6万円とか8万円とかかかるらしいので御遠慮した。
1914(大正3)年の戸数201、人口1,120。
漁業は江戸期に続いて盛んで、1903(明治36)年には野忽那漁業組合、1908(明治41)年には睦野遠海出漁組合が発足。
行商も北海道から九州まで反物を売り大正末から昭和初期が最盛期であった。(角川書店『角川日本地名大辞典』)
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今回の訪問に当たって、地元の堀本さんというかたから次のようなお話を伺った。(以下同行の松原満紀さんのメモ)
堀本さんの祖父は朝日丸という船を持っていて、天草、五島、朝鮮へ伊予がすりの行商にいっていた。
この島には10隻くらい同じような船があって「しまうり船」と呼ばれていた。一隻に20人くらい乗った。
(後で見せてもらった写真によると島にはずいぶんりっぱん家が立ち並んでいた様子です。
金貸しもしていたとのことで、大福帳のような金貸し記録を見せてもらったが、かなりの達筆であった。また、貸し額が半端でなかった。つまり、当時に隆盛が十分に証明されるようだった。)
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沙漠がシルクロードをはぐくんだように、海は「伊予がすり」の道を育てた。『愛媛県百科大事典』は「伊予がすり」と「野忽那」の関係を次のように記している。
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伊予絣は明治末期から大正初期にかけて久留米、備後と並んで全国で三大産地を形成した。庶民の好みにあった柄、染めやすさ,木綿特有の丈夫さが消費者に受け入れられ温泉郡睦月(野忽那の隣の島)・野忽那(現中島町)の行商人によって北海道までその名が知られた。
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現在の野忽那は人口が300人台。柑橘栽培が中心の美しい島である。村の墓場には戦没者の墓が林立していた。
島の町中島町の東端の島、野忽那島の軍人墓を見に行った。この件はまた後ほど。野忽那は二神さんのホームページ
むすこがアパートへ移った。これで本当に女房と二人だけの生活になったわけだ。振り出しに戻る、というところかな。
テレビで橋幸夫の近況を知った。奥さんといい仕事をしている。
さて、橋のお母さんが痴呆症になって、奥さんは一生懸命お世話をしたのだそうだ。結局は老人施設に預けることになったのだが、そこで橋の娘さんが、介護の仕事をする人達に初めて接して、自分もこんな仕事をしたいと決心したのだそうな。
娘さんはこうして福祉の道にすすんだのだが、最近きた娘さんの手紙には「お年寄りがウンコをたくさん出すと『たくさん出てよかったねえ』と喜び合えるようになりました。」と書いてあったそうだ。
気持ちのいい番組だった。
今日の新聞で報道されたように、厚生省が昨1998年の「人口動態統計(概数)」を発表しました。(詳しくは→厚生省)
この機会に気になる数字を備忘メモとして少し並べて置きます。
自民党がはじめて(?)、「君が代」の「君」は天皇のことと言いきって、今国会に「苔のむすまで」と「赤丸」を国歌・国旗とする法案を提出することにしたという。
これまで、「君」は「天皇」のことじゃないですよ、「あなた」のこと・「国民のこと」です、恥を忍んで(だれがそんなこと信じますかいな)言い張ってでも、一生懸命「苔のむすまで」を弁護していたサポーターたちは、えらい赤っ恥をかかされましたなあ。
生活が苦しくなった人が、クレジットカードを手に入れて、使えるときは使ってマエと、ドンドン買い物をしたあげく自己破産、というケースがよくあるようだが、今の自民党はこれによく似ている。
公明党と言うクレジットカードで、今がチャンスと買えるものを手当たりしだい、買いまくっているじゃないか。
これは単なる印象というか思いつきのようなものでしかないのですが、最近の子供たちの行動には、「固有のかたちを持たず自由に変形する」流体というイメージがあります。
職員室に教員用のポットがありますが、去年まではこのポットを使う生徒はいませんでした。ところが、なにかの事情で誰か一人にインスタントラーメン(昼食に流行っている)を作るためにこのポットの湯を利用させたのでしょう、その後、昼休みに五、六人の生徒がやってきてドンドンこのお湯を使うために、教員がお茶を飲もうとすると湯がなくなっている、といったことがおこります。そこで「これは使うな」というと使わなくなります。
教員が箸をわすれた生徒に割り箸を与えると、次の日から大勢が割り箸を求めてやってきます。
ピアスなども、着用の是非はともかくとして、職員室に入ってくる子に、「ピ・ア・ス・・・」といえばすぐに素直にはずします。しかし、次に来るときはまたつけています。言えばはずします。
授業中もそうです。授業中に教科書もノートも出さない子がいます。指導するとしぶしぶ出しますが次の時間はまた同じこと。
お喋りも、きつく注意されるまでは止めない子がいます。「学級崩壊」の危機を感じているある学級主任の話では、隣同士でぺちゃくちゃしゃべる生徒に手を焼いて、席をうんと離したら今度は遠く同士で大きい声でしゃべるのだそうです。
いつも隙間を探していて、隙間があるとどんどん流れ込んでいく。壁があればさっとほかの出口を探し始める。建て前と、かけじめとか、遠慮とか、本分とか、まあそういった「固体」的なものは全くなく、「自由に変形」していく「流体」、これがこのごろの生徒のイメージです。
例のごとく「小学館百科事典」を紐解くと、流体(川の水)に関して我々がもつ興味として三つの問題を挙げています。
「圧力」とか「張力」とか「粘力」とか「渦」とか「流線型」とか「揚力」とかは、みな流体力学の基礎概念だそうですけど、いっぺん勉強してみますか。
私の職場には教職員用の広大な駐車場があります。以前はそれぞれの職員室(七つか知らんある)に近いところへ置いていたのですが、ある年、駐車場を作ったのを機会に、確か消防車が入りにくいという理由で、全車駐車場に置くようにいう指示が出ました。
この駐車場に対する教職員の反応にはいろいろあって興味深い。
まず、少々雨がふっても決められた駐車場にちゃんと入れる人。これが大半を占める。
臨機応変派。雨が降ったり、荷物があったり、勤務時間中に使用する必要があったりすると、校内まで乗り入れる人。これも結構多い。忘暮楼もかつてそうだった。
日和見派。係から、校内駐車をしないよう放送があったりすると、さっと駐車場へ入るけどこれはあくまでも仮の姿。周りの様子をうかがいながら適宜校内駐車にもどってくる。
さて、忘暮楼はこの数年、校内駐車のほうを続けている。まあ確信犯といわれても仕方がない口である。
数年前、係が「車は駐車場へ置いてください。」のあとに「校内に駐車している教員の名前はみんなわかっています。」と付け加えた。忘暮楼はこれに腹を立てて、その日のうちに駐車場から校内へ車を移した。
最近、係が「車は駐車場へおいてください」と放送した。その係は忘暮楼の古くからの友人で本当は十分に顔を立ててあげなきゃいけないのだけど、ちょっと「ヌケヌケと」かまし過ぎだった。実はかれも結構校内駐車をしていた口だ。係になったというのでこういう放送をするわけだが、こういう場合は「私もちょくちょく置いていたのですが・・・」と少しは恥ずかしそうな顔をして放送すべきである。そう言うそぶりもなく、どことなく平然とした放送を聞いて忘暮楼はまた腹を立て、次の朝も、校内へ車を乗り入れた。校内はいつもの車たちが姿を消し、ガランとしていた。
へそ曲がりもなかなかしんどいですよ。
校長や理事長の行動を見れば、校長の取り巻きの姿が浮かびます。取り巻きがたちが自分の都合のいい校長や理事長を作るものらしいからです。
日本帝国の天皇主権政治が敗戦まで崩壊しなかったのも、北朝鮮の金王朝が崩壊しないのも、その体制でこそ生きていける取り巻きがいた/いるからでしょうね。
沛公と天下分け目の決戦を戦っていた項王がついに敗走し、たった二十数騎で長江のほとりまでたどり着いたときに、渡し場の管理者が、「長江を渡って楚でもう一度王となってください」と勧める場面がありますね。あれなんか見ると王が作られる事情がわかるような気がします。
校長や理事長や、チョット小物になるけど教頭などをけなすときに、一度は振り返ってみるべきことでしょう。「あの馬鹿が・・・」とか「ヌケヌケと・・・」とかつぶやけば一件落着しがちな、われわれシモジモの習癖も反省しつつ。
「忘暮楼も若手といわれたことがあったんよ」といったら「へぇーーっ?!」と驚嘆された話がありましたね。「つまり、(私たちが)年を取るのが下手になっているということかな」と書いたのですが、チョット違うような気もします。
母の名は親父(おやじ)の腕にしなびて居(い)
本日購入の『俳風柳多留』(集英社文庫)の一句。「みよ命」などと彫った二の腕の刺青が、父親のしなびた腕に残っているという句。子どもはそれをみて「やるなあ」と苦笑いしつつも、自分が二人の愛情のいわゆる「結晶」であることを幸せにも思う。「しなびて」も親父の気持ちは刺青を彫ったころのままなのか。
「年を取るのが下手になった」のではなく、昔からこういうものだったのでしょうね。
私たちが生きている生(なま)の時間は、決して一つだけではない。
まず、四季の繰り返し。これは円環状の時間であって必ず元へ戻ってくる。しっかり数えてい「ないと何回戻ってきたか、すぐ分からなくなってしまうが、忘れてもとくに不便はない。元号では過去の計算がいくら難しくても使われるのは、計算できなくても大した不便はないからだ。
次に、いわゆるAGINGやGRAYINGによる身体の変化です。こいつがこのごろは結構長持ちしまして、手入れをしておれば何時までも元気です。ボケても身体は元気で痴呆性徘徊がよく話題になるほどです。
最後に、これは時間と呼ぶべきかどうか、昨日の私と今日の私、一昨日の私と今日の私を同じものと思う自己意識。まるでティッシュ・ペーパーのように、同じ私が毎日毎日つぎつぎに現れてきます。
どれをみても時間はなかなか流れません。いつまでも昔のまま。
時計の刻む時間は、結局は、セシウム133の原子が放射する「光」の周期をもとにして刻まれているのだそうです。だから、時計の刻む時間で自分の人生を考えるってことは、誰かの「貧乏ゆすり」の回数で自分の人生を考えるのと同じことになるわけですね。
ファイルの掃除をしていたら、3年ほど前に愛媛新聞に掲載された忘暮楼の投書が出てきました。今日の公開日記は、これでお茶を濁してゆっくり休みます。
最近、高校1年生の教室で、「遊び今昔」と題して、今の小学校低学年の遊びと自分たちが小学低学年だった六、七年前の低学年の遊びを比べてもらったところ、「現役の子供」ならではの大変興味深い指摘が飛出てきましたので少し整理してご紹介することにしましょう。
@そとで遊ばない
【昔】ぼくたちが低学年だったころは、ちょうどファミコンが出始めた頃で、ぼくたちも結構熱中したのだが、ファミコンが今ほど面白いものではなかったので、すぐ飽きてしまい結局友達外で遊ぶことが多かった。
【今】今の低学年は小さいときからスーパーファミコンの時代。余りにも面白過ぎて飽きが来ない。そこで外で遊ばない。
A季節がない
【昔】外の遊びが多かったから、春には春の遊び、夏には夏の遊びというふうに季節によって遊びが違っていた。
【今】一年中同じ遊びをしている感じ。
B一人で遊ぶ
【昔】ひとつ年上と遊ぶ時は野球やバスケット、一つ年下と遊ぶ時はかくれんぼやカンケリというふうにいろんな年齢の遊び相手がいた。
【今】ほとんど一人で遊んでいるのではないか。
Cお金持ち
【昔】お小遣いは一月1000円くらいだった。
【今】外に出るときいつも財布を持っており、高校生の買えないゲームソフトをさっと買っていく。
ある生徒の「ちょっとの間にすごく変っている。これでいいのか心配」と言う感想は全く同感でした。
あさ、お弁当を作って、朝食をとって、服を着替えて、・・・しかし、結局出勤をあきらめた。身体と心がひどい状況だ。これはいわゆる「不登校」ってやつだなあ。同僚のみなさんには悪いけど、HPを1ページ作ったり、温泉に行ったり、心にいいことだけして早く寝ました。
話題は、変わります。蛍が光るのは不特定多数の異性に自分の存在を知ってもらうため。小鳥たちのさえずりも同じようなものでしょう。
しかし、人間のコミュニケーションはチョット違う。
声の大きさを変えたり、コミュニケーションの道具を変えたりして、
この伝達の階層化が、その人間の個人史と個人的社会史そのものであり、したがって、その人のアイデンティティ存立の基盤になっているのじゃないでしょうか。つまり、この階層化があってはじめてそれぞれの「私」の心の安定があるのではないかと思うんですよ。
国家による盗聴を合法化することは、国家がこの基盤を掘り返すことであると思います。盗聴が日常化しているというアメリカ合州国の人々と私たちのあいだには、すでにアイデンティティ形成上大きな違いが生まれていたりするのかもしれませんね。
盗聴という言葉が持つ、非人間的は気持ち悪さの根源はこんなところにあるのではないかと思ったのでした。
父の命日。1892(明治25)年9月10日愛媛県大洲市で生まれ、1944年6月4日中国・張家口で病没。生きていると、えーと、ヒャ、106歳 !!! (>_<)
一日休んだのでウンと楽になりました。肩の重さは相変わらずですけど。
さて、他人が自分をどうみているかということは、いつでも大変興味深いことです。自分を誉めてくれる人は尊敬したくなるし、自分をけなす人はアホに見える(^^;)。
他人が自分をどう見ているかということで、今日は職場で、本当にビックリさせられたことがありましたよ。
1965年前後生まれの先生を交えておしゃべりしていたときのこと。1942年生まれの忘暮楼が、なにかの話のついでに、当然「そりゃそうでしょうねえ」と相槌を打ってもらうものと思って、
「ぼくも、むかし、若手イコール尾上たち、って言われていた時期があったんよ。」と言ってみたら、返って来た返事が
へえーーっ!?内心、まだ若いという含みで振った変化球だったダケに、この「ええっ、そんなときがあったんですかア !」という100%驚嘆に満ちたご返事には心底ビックリしました。
もちろん57歳もなってまだ若手と思っているらしい忘暮楼が愚かでした。しかし、このぶんだと案外日本のおじさんやおばさんたちは、みんな自分を若手だと思っているのかもしれませんね。つまり、年を取るのが下手になっているということかな。
法務省が、マスコミの盗聴法案報道に関して、「盗聴」といってくれるな、「傍受」といってくれ、と泣きを入れたらしい。
市井人語では「皇軍の退却」→権力語では「転進」、
市井人語では「健康な兵士作りのための少数者排除」→権力語では「社会浄化運動」、
市井人語では「軍隊復活」→権力語では「予備隊創設」「自衛隊創設」、
市井人語では「自民党の教育支配」→権力語では「正常化教育」、
市井人語では「勤務時間外の部活」→権力語では「社会教育」、
市井人語では「超低レベルのでたらめ賃金」→権力語では「貢献度による査定」
権力が得意とする目くらませですね。ずいぶんこれでだまされてきたもんです。
銀行には「貯金通帳」を「借入通帳」と改めて欲しい。我々が貸している金で商売が成り立っているんじゃない(▼▼)・・・減らないODで悩める忘暮楼。
横になったらすぐに眠ってしまいます。今日も昼から既に4時間くらい寝ました。身体とこころがクタクタです。にっくき4時間授業3回@週め (>_<)
このごろひどく疲れている。例の4コマ授業(月・水・金)のせいだ。月・水・金の朝は出勤が億劫。出勤しても、どうやって省エネするかが一日の関心事。なんど授業をしてもまだ授業が残っている感じ。6時間目になると、生徒にわからそうとする気力が完全にfade outしてしまう。こんな気分は初めてだ。
ひょっとして、と思って病院へ行ってみたが、血圧(116/74)もヘモグロビンA1c(5.5)も正常。
「日本一の授業」「授業はチャイムからチャイムまで」「授業時数の確保」・・・それぞれに魅力あるスローガンなのに、忘暮楼にとっては、今日日単なる慢性疲労の原因に成り果てている。
これは「争点」ではなく、「問題」なのではないか。真面目に研究すれば解決の方法は必ずある。
ついでに教頭の担当授業時数は、たしか週三時間。一人教頭の時期もいれて史上最小になっているようだ。小説を読みふけっている、と羨望の声あり。
(注)県教組によると、教頭の持ち時間は、一般教員の半分くらいだそうです。詳しくは県教組のホームページのここ。
「新潟おけさ」をなんとか一応征服できたようだ。一週間かかかった。
こういうしっとりとしたお座敷歌にはまた特別の難しさがある。芸者さんたちの精緻な工夫がちりばめられているからだ。
「山に切る木は数あるなれどおまえ切る木は更にない」「新潟こいしや五月雨どきは柳小路の蛇の目傘」と歌の文句もなかなかいい。
このところ、北前船と民謡の関係(港と歌の関係)に関心をもっている。
小渕首相の支持率が上昇中だそうです。珍現象と揶揄する人もいますが、やはりそれなりのそれなりの理由はあるのでしょうね。
小渕首相に関する新聞報道のなかで、おっ、と思ったのは、ある官僚の“小渕首相からは、 前例はどうなってる?、と聞かれたことがない”という発言。
これまでの手法では対応できなくなった事態を危機というのだそうですが、とすると、この「事実」は小渕首相の危機意識の反映なのかもしれません。
振りかえって、子どもたちの変わり方をみると、学校でも、いまや従来の手法は通用しなくなっているのかもしれないですね。つまり、学校はこの意味で、前例を洗いなおすべき危機状況にあるのじゃないでしょうか。「いたちごっこ」の時代は終ったのだろうと思っています。
三年生三学期のまったく無意味な定期考査とか、だれでも無意味と言っている松山市内各校の合同巡視とか、学習到達目標のない定期考査統一問題とか、休日のない部活とか、生徒が授業前に疲労困憊してしまう朝練習とか、通勤ラッシュ時間の登校とか、・・・ウーン、書いているとドンドン思い出されてくるなあ。オサラバしたい前例を一度しっかりリストアップしておきたいですね。