鳴門市大毛島(鳴門大橋の鳴門側)、千鳥ケ浜の奥、本四自動車道近くの共同墓地の入り口にある軍人墓である。
愛媛県下の一般的な軍人墓に比べて墓標が手厚く荘厳されている。
「棹」の部分以外は普通の墓と同じであるので「神道風」の印象はない。徳島の普通の墓の場合、この棹の部分が「位牌型」になっている。
「棹」より下の部分である。
共同墓地の入り口近く(東隅)に13基の軍人墓が林立している.昭和40年ころの建立のものが多い。
上に同じ
鳴門市大毛島土佐泊の潮明寺寺門。土佐泊は、古代、四国と畿内を結ぶ要港で紀貫之も土佐からの帰路、ここから泉州に渡った。境内に紀貫之の歌碑がある。
潮明寺寺門を入って右側の軍人墓。墓の形は千鳥が浜の物と同じであるが、昭和12年〜14年の戦没者が中心で建立もその時期のものが多い。素人目にも立派な石が使われている。
後列の右側には昭和20年ころの戦没者の墓も混ざっている。中央は「忠魂碑」である。
上に同じ。一番右は昭和12年の戦没者で階級は少佐。「棹」の部分がとがっていない。