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1999年2月17日、組合憎さのあまりの不当労働行為を繰り返してきた今治精華高等学校理事会がついに地方労働委員会に訴えられました。 柳瀬一秀愛媛私教連委員長の陳述書が申立までの事情を詳しく述べておりますので、これをまず紹介しましょう。ただしここに転載する文章は、陳述書の原稿でして、昨日、労働委員会に提出された柳瀬委員長の陳述書は、この文章をかなり簡略化したものだそうです。といういうことは、このバージョンの方が詳しいのだ。 「目次」と「年表による検索」をつけておきました。 「戻る」は、ブラウザ-の「戻る」をご利用ください。 (忘暮楼 Feb 18 1999 ) |
| 柳瀬一秀(愛媛私教連執行委員長) |
| 檜垣義光(今治精華教職員組合執行委員長) |
| 伊川淑子(今治精華教職員組合書記長) |
| 森 一男(今治精華・理事長) |
| 河合泰正(今治精華・前校長) |
| 渡邉以都甫(今治精華・現校長) |
| 長橋仁志(今治精華・理事) |
| 山戸一三(今治精華・現教頭) |
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○昭和21年7月11日
以上の経歴の通り、私は愛媛私教連執行委員長及び新田高等学校教職員組合役員として私学の教育現場と労使関係にかかわって私学の経営者や教職員と接触してきた経験に立って、愛媛私学の状況や今治精華学園理事会の組合敵視の実態についての意見を述べ、同理事会の不当労働行為についてご理解をいただきたいと思います。
平成10年度4月現在、愛媛県には10の学校法人によって
が設置され、公立学校とともに公教育の重要な一翼をになっています。 私学は、平成元年以降、中学校卒業生の急減期に入り、私学の生徒数は減少の一途をたどり、一般的な私学経営の危機をもたらしています。
現在、ほとんどの私学経営者は、専任教員の確保や1学級生徒数の抑制に対して消極的となっています。さらに、この教育条件とともに賃金をはじめとした私学教職員の労働条件の改善にも積極的態度をみせていません。 このような私学経営者の教育条件・労働条件の改善に対する消極性が私学教育の危機を増幅させています。
生徒急減期以前から私学教職員の労働条件は劣悪でした。本県公立学校の賃金は全国最低レベルと言われていますが、私学教職員の本俸はそれ以下という状況でした。 このもとで私学教職員は職場に組合を結成し、労働条件の改善や権利の向上をめざして立ち上がってきました。 昭和47年5月の新田高校の事務職員、現業職員によって新田高校労働組合が結成 され、その影響のもとに同年9月には聖陵高校でも教職員組合が結成され ました。また、すでに、組合を結成していたものの組合独自の活動をしないとしていた新田高校教員組合が昭和48年、活動を開始し、 城南高校教職員組合も同年の解雇問題を契機に教職員組合が活発な活動に踏み出していくことになりました。 昭和47年・48年にかけて自らの労働条件の改善と権利の向上を目指した愛媛私学の教職員運動は、昭和50年に私学の将来展望をひらくための私学助成運動へと活動を発展させる こととなりました。 先の4組合は、東雲職員協議会及び他の私学職場の教職員有志とともに「私学助成をすすめる会」を組織し、県議会に対する私学助成増額の請願署名に取組みました。 ところが、この私学教職員の団結と自覚のたかまりにもとづく私学助成運動に対して、私学経営者は運動の妨害に乗り出してきました。 ある私学職場の私学経営者は運動に参加した教職員を理事長室によびつけて数時間にわたって糾弾しました。 また、各私学の父母のもとに校長・PTA会長連名で運動の妨害をはかる文書を送付しました。 さらには、私学経営者だけでなく公安警察までもがこの運動に介入する事態まで発生しました。
愛媛新聞も「社説」でこの事件の背景に「私学助成運動があるとするのが常識的な見方」とし、「教育者・スパイの二重人格者に仕立て上げようとした」公安警察を批判しました。 この妨害にもかかわらず、運動は署名数5万名、カンパ額100万円を越えて大成功をおさめ、県議会はこの請願を不採択としたものの私学運営費補助は前年の39%増となり、サンケイ新聞は「助成の大幅増で入学時の一時納付金は据え置き」と報じました。 私学運動にたいする世論の理解と支持はありながらも、公安警察の介入は私学職場に重苦しい状況を生み出し、その後の私学運動を停滞させることにもなりました。 その停滞から再び組合の活動が活発になってくるのは、生徒急減期がはじまる平成元年からでした。
この年、東雲職場では東雲中学・高等学校教職員組合が結成されました。
また、新田高校では現職教諭3名が相次いで死亡するという事態のなかで専任教員増員の取り組みが行われました。さらには公立学校との賃金格差拡大を防ぐための活動が展開され、東雲でも同様の取り組みが行われました。 この年にはまた、聖陵教職組がボーナスの差別支給に反対する活動に立ち上がってきました。 再び組合活動が高揚してくるなかで、新田教職組は、生徒減少期を私学教育充実の好機とするため全国私立学校教職員組合連合(全国私教連)の全国三〇〇〇万署名運動への参加とその全国私教連への加盟を決定しました。 この新田教職組の全国私教連加盟は、愛媛に全国私学の情勢と私学運動の教訓をもたらし、「全国の私学はひとつ」とともに「愛媛の私学はひとつ」となっての運動を準備することになりました。
新田教職組が「愛媛の私学はひとつ」のもとに県内私学教職員組合の連合体結成を方針にかかげていた平成7年、今治明徳中学・高校教職員組合が結成されました。 学内に二人の理事長、二人の校長が出現するという異常事態に対して、今治明徳教職員はいずれの理事長にも加担することなく、明徳教育の発展と不安のない働きがいのある職場づくりをめざして組合結成に踏み切り、その活動を発展させるために県内私学教職員の連合組合の結成を決意しました。 ここに、新田教職組・今治明徳教職組は他の私学職場教職員に呼びかけ、平成7年7月21日、愛媛私教連が誕生し、各職場の民主化・待遇の改善や私学助成の大幅増額、授業料直接補助の実現による学費の公私格差是正などが方針としてかかげられました。 結成直後、松山城南教職組が愛媛私教連に加盟し、また、この年結成された今治明徳短期大学教職員組合も加盟し、四組合と個人加盟で構成される約170名の組合となりました。 愛媛私教連は、今治明徳や今治明徳短大・新田の各単組の団体交渉に参加し、それぞれの職場における教職員の待遇改善などに取り組むとともに県内私学助成運動に積極的に取り組んできました。 特に、私学助成請願署名運動は愛媛私教連結成以後、急速に発展し、平成9年度には、過去最高の約16万2000名を越える請願署名を集約しました。 この運動によって平成九年度には「私立学校就学促進事業」として低所得世帯の私立高校生に対する授業料補助制度が実現しました。
この活動を展開してきた愛媛私教連、及び平成10年6月13日に結成された今治精華高等学校教職員組合に対する不当労働行為を続けている今治精華学園理事会の体質を理解していただくために、まず、
について述べたいと思います。 同校校長として河合泰正氏が着任したのは平成8年4月 。その河合校長によれば退職に至る経過は次の通りです。 着任早々、河合校長は森一男 理事長のもとに管理管されていた生徒諸費の預金通帳を自分のもとに提出させ、これを調査した結果、発見された不明金280万円余の返還を求めました。 この不明金はのち、平成9年7月24日に現金で学校事務局に森理事長は返還したものの、これが森理事長をして河合校長を嫌悪する発端となりました。 また、河合校長が劣悪であった教職員の賃金改善に取り組みはじめ、この教職員の待遇改善をめぐっても森理事長と河合校長の対立が深まりました。 この対立のなかで運動部顧問教諭の起こした交通事故の責任をとらせて、森理事長はついに河合校長を退職に追い込むことになりました。 森理事長がこの交通事故による生徒への治療費などの保障を同教諭のみに行わせようとしたため、河合校長はこれに反発し、学校としても責任ある態度が必要であると主張しました。しかし、治療費などの保障は同教諭が自分の自動車保険などによって一人で行い、森理事長は河合校長に対して校長の監督責任を追及し、一学期末(平成9年7月末)で河合校長が依願退職という形で辞任することとなり 、森理事長を支持していた教頭の渡邊以都甫 氏(現校長)が校長となるに至りました。 河合校長は、
今治精華学園理事会が組合を敵視し、職場における組合結成を嫌悪していた姿勢は、伊川 教諭に対する退職強要問題からも伺えます。 平成9年2学期より新校長となった渡邊氏 は、河合校長時代から行われていたアンケートを実施しました。このアンケートは校務分掌希望などをきくためのものですが、渡邊校長が実施したアンケートにはこれまでとは違い、
このアンケート実施後に渡邊校長は教職員との面談を順次行い、伊川淑子教諭と11月12日に面談を行いました。その面談において渡邊校長は伊川教諭に対して、ささいな、しかも、事実に反することを述べていますが、このなかで渡邊校長の次の発言は看過できません。 伊川教諭のメモによれば、その発言の大要は次の通りです。
愛媛私教連が、組合が結成されていない職場にも呼びかけ、職場の待遇改善をすすめるために開催した会議への参加を詰問する校長の態度は組合活動の自由を認めない明白な権利侵害であり、不当労働行為であると思います。 この面談の最後に伊川教諭は渡邊校長より突如として
と通告されました。
伊川教諭は、当時、同校で勤務年数が二番目に長い勤続二三年の教員であり、家庭・食物の授業を担当して三年生の学級担任とともに三学年の学年主任もつとめるベテラン教師です。組合活動に関心をもった伊川教諭を職場の指導的スタッフに入れたくなかったことを伺わせます。 と告げられ、後日相談をした長橋仁志 理事からも
と年度末の退職を求められていました。 伊川教諭は退職しなければならない理由はないとして同年12月27日に愛媛私教連に個人加盟し、退職強要撤回を求める決意を固めました。 伊川教諭が退職の意志のないことを校長に伝えたため、檜垣教諭の退職強要問題は棚上げされたまま、伊川教諭の退職強要撤回の活動が今治精華職場で展開されることになりました。 退職の意志のないことを伝えた平成10年1月9日、伊川教諭は渡邊校長・長橋理事・井原靖之事務長に呼び出され、「退職理由は服務規定第38条第1項・3項・6項。これを文書で示すと懲戒解雇となる(から文書にしないほうが得策だ)」 と告げられ、依願退職又は懲戒解雇のどちらかを選択して回答するよう迫ってきました。 これに対し、伊川教諭が重ねて退職の意志のないことを表明すると長橋理事は
と通告してきました。 理事会が団体交渉で伊川教諭の問題点として示した項目はいずれも事実に反したり誤解にもとづくものであり、解雇理由にはなり得ないと組合側は主張するとともに、今後、解雇を前提とせず話し合いで問題の解決をはかるべきとの態度を示しました。 理事会も伊川先生への希望事項をあげ、これを理解するなら、これまでのことを水に流し、伊川先生が引き続き教壇に立っていただいて結構、との態度をとりました。 こうして伊川先生の退職強要問題は解決をみました。 この間の1月10日には檜垣教諭も愛媛私教連に加盟しました 。2月2日、檜垣教諭に対する退職強要を未然に防止するため、愛媛私教連は檜垣教諭が組合員であることを理事会に通告しました。 今治精華高校は教員の身分の不安定さとともに、労働条件もまた極めて劣悪であり、本俸や一時金(ボーナス)などは愛媛私学の最低状況と言っても過言ではありません。今治精華高校は、他の私立高校が準用している公立高校の俸給表(愛媛県高等学校教育職員給料表及び行政職給料表)が適用されおらず、本俸のベースアップ額は理事長の一存で決定されています。 勤続24年の伊川教諭のこの5年間のベースアップ状況は次の通りです。
多かったり、少なかったり、教職員の賃金が理事長の思いのままで決められている様子が手に取るようにうかがえます。 賃金の決め方が恣意的であるだけでなく、今治精華高校の給与水準そのものが、公立高校や他の私学高校に比べて著しく低いのです。 愛媛私教連の調査によれば伊川教諭の平成10年4月現在の本俸額を公立高校や他の私学職場と比較すると 次のようになっています。
比較のために、県立高校の給与と比べて見ます。
つまり10数年分の賃金差があるということです。 さらに、今治精華高校では、他の多くの県内私学職場では支給されている
その一方で、理事長の収入は、
身分の安定をはかり、劣悪な待遇を改善し、精華教育の発展の基礎をつくるためには、どうしても職場に組合が必要である、と痛感した伊川教諭と檜垣教諭は、職場の教職員組合(職場単組)づくりを訴え、平成10年6月13日、今治精華高等学校教職員組合が誕生 しました。 同組合は「安心して骨を埋めることのできる職場づくり」のために二五項目の要求をまとめ、結成二日後の6月15日、職場教職員に組合結成のあいさつと組合新聞「羅針盤」1号を郵送し、理事会に対しては組合結成通知とともに二五項目の要求書を提出して団体交渉を申し入れました。 しかし、理事会は6月20日とした団体交渉申し入れに対する回答期限を守らず、同組合の催促によって7月1日になってやっと回答してくる始末でした。 この後、二回の団体交渉がもたれましたが、その団体交渉開催についての回答期限はいずれも守られず、やはり同組合の何度かの催促によってようやく回答が示されるという状況です。 このように回答期限を無視しつづける理事会の態度は、組合の団結権・交渉権を尊重する態度とは到底言い難く、組合結成及び団体交渉を嫌悪する姿勢が堅持されていることをうかがわせます。
組合は、6月24日午後6時15分ごろ、団体交渉への理解と得るために、組合新聞「羅針盤」第2号(県下私学の労働条件比較表を掲載)を職員室の教職員の机上に配布しました。
翌6月25日、山戸
教頭は檜垣委員長を校長室に呼び出し、「ビラ(組合新聞)を配布するな。勤務時間中でも校長の許可が必要である」と配布中止を要求してきました。 協議した結果、組合新聞を時間外に配布するのに校長の許可が必要になれば組合活動は大きく制約され、また、私立学校内におけるビラ配布を認める最高裁判決もでているところより到底容認できないが、職場における無用の混乱を避けるため、当面は組合新聞は郵送することにしました。 この山戸教頭の言動は組合が職場に影響力を広げることを阻止する理事会側の態度のあらわれであり、また、労働組合の日常活動のひとつである組合新聞の配布に関して介入することは「労働者が労働組合を運営することに介入する」不当労働行為であると思います。
翌日6月26日、檜垣委員長は突如、「査問委員会」への出席を求められました。
檜垣委員長の漢字指導が議題でした。
この時、檜垣委員長が
このことが教育的配慮に欠け、「就業規則第五一条の懲戒事由」にあたるというものです。 同日、檜垣委員長が退席した後に「査問委員会」は懲戒委員会に切り替えられ、檜垣委員長の「戒告処分(始末書の提出)」が決定されました。 教員はいろいろな手立てを講じて生徒を励まそうとします。クラスマッチで優勝すれば学級担任が自腹を切ってジュースで乾杯ということは今治精華のみならず他の職場でもみられることです。檜垣委員長が「できなかった時はおごれよ」とした点については余り褒められたことではないかも知れませんが、それはもちろん、檜垣委員長がその生徒を本気にさせたかったにすぎないことです。 これを教育的配慮に欠ける、と言えばそうかも知れません。しかし、この問題は、懲戒処分としてしまうほどのこととは思われません。 この教育的配慮に欠ける問題が生じた場合、まずは、校長・教頭が檜垣委員長からその意図などを聴取し、注意・指導を行うことが教育現場の一般的対応ではないかと思います。事実、河井前校長によれば、「教育的配慮に欠ける」ということで懲戒委員会が開催された事例は同校には一度もなかったのでした。 にもかかわらず、がむしゃらに懲戒処分を強行する今治精華高等学校理事会の行為は、団体交渉を求める組合を嫌悪し、その組合を代表する委員長を懲らしめようとする「見せしめ」と言わざるを得ず、この「処分」は正当な組合活動を行う組合員に対して不利益な取り扱いをする不当労働行為以外のなにものでもないと思います。 それでも、同組合及び愛媛私教連は、切実な職場の要求の実現を求める団体交渉を実現するために、あえてこの「戒告処分」に甘んじることとしました。しかし、愛媛私教連は今後も、理事会側からの同組合に対する攻撃が予想されるとし、これに備え正確な記録をとるために檜垣委員長に小型録音機の携帯を指示しました。
愛媛私教連が檜垣委員長に小型録音機の携帯を指示した三日後の6月30日、理事会は檜垣委員長に対して二回目の「査問委員会」出席を求めてきました。 この日の二回目の「査問委員会」出席を求めた「通知書」には、前回同様に出席理由としては
この状況で、檜垣委員長が会議内容を正確に記録し、不当な組合攻撃に備えるためにポケットに小型録音機を携帯したのは当然のことでした。 また、査問委員会開始直後に渡邊校長は檜垣教諭に
ところが、その後一時間ほどが経過した時点で、渡邊校長が急に檜垣委員長のポケットにある小型録音機を問題にし発見し、山戸一三教頭が
檜垣委員長は仕方なく
「査問委員会」終了後、檜垣委員長より報告を受けた愛媛私教連委員長の私は、電話で山戸教頭に対して
しかし、山戸教頭はこれに応じず返還要求の途中で電話を切ってしまったため、私は翌日再度の返還の申し入れを行いましたが、山戸教頭は小型録音機の所有者が明確でないので学校として預かっているとの態度を示しました。その後も、山戸教頭はこの態度をとり続け、また、渡邊校長も同月七日付文書にて同様の主張を繰り返しました。 しかし、檜垣委員長が正確な記録のために所持し、しかも「僕のもの」と主張して抵抗しているにもかかわらずこれを無視して一方的に「預かった」といかに強弁しても、他人の物を不当に占有する行為にほかならないものです。 また、渡邊校長は同月七日付文書において檜垣委員長の行為を「盗聴」「人権侵害」として、その謝罪を求めていますが、檜垣委員長の録音行為はその経緯からも明らかなように、「盗聴」などという個人のプライバシーを侵害するものではなく、不当な組合攻撃が十分に懸念されるなかでの行為です。そもそも「査問委員会」は私的なプライバシーにかかわる会議ではないことは明白です。 謝罪すべきは財産権を侵した側にこそあります。 さて、この第二回目の檜垣委員長に対する査問委員会は、檜垣委員長が6月25日 檜垣委員長は六時間目の授業が終了した後、自分のクラス生徒を下校させ、理科室で調べものをしていたのですが、七時間目が終了した後、その21ホームルームの学級担任と出会い、そこで指摘されてはじめて授業があったことに気づいたのです。 あってはならないことではありますが、授業を失念するケースは私の職場にもみられ、多忙な校務の中では恐らく他の私学職場にもあるのではないかと推察されます。 また。同校教職員によれば、担当している授業を失念していた事例はこれまで檜垣委員長以外にも生じているとのことです。こう言う場合、たいていは、生徒が授業担当者に連絡に来ますが、檜垣委員長が一人で理科室にいたことと、たまたま生徒も職員室に連絡にやってこなかったためにこの事態となりました。 しかも、檜垣先生が授業を忘れたのは、精華高校に赴任後、後にも先にも、これがはじめてのことで、日頃、ほかの先生より早く授業に出ていくので知られた先生なのです。 この状況を檜垣委員長が査問委員会で説明している時に、先の小型録音機没収の事態が発生したため、査問委員会はそのまま解散されました。 この査問委員会の開かれた6月30日から7月18日まで、学園からはこの件についての連絡はなく、檜垣委員長は授業失念問題は事情を理解していただき落着したと受け止めていました。 川合前校長の証言によっても、これまで同校において授業失念を理由とした懲戒処分はなかったということで、檜垣委員長のみを懲戒処分の対象として査問委員会を開催すること自体が不当であると思われます。 先の6月26日における漢字テスト問題での第一回査問委員会とともに、6月30日の授業失念問題での第二回査問委員会も、二五項目の要求をかかげて団体交渉を求める組合を嫌悪し、その組合を代表する委員長に対する「見せしめ」を行うことによって組合活動の頓挫を図ろうとする特別の意図にもとづくものであると考えます。
組合を嫌悪して、組合委員長を攻撃する理事会側の態度は、同組合の団体交渉申し入れに対する理事会側の回答の仕方にも示されています。 回答期限を無視し続けてきた理事会は、やっと第二回査問委員会の翌日の7月1日になって、渡邊校長を通じて同組合に回答してきました。
そのとき、渡邊校長は考えられない行動にでました。
この態度は団体交渉が労使対等の立場で行われるものという理解もなければ、団結権を保障した日本国憲法第二八条も無視した行為、組合の代表者への許しがたい行為であると言わざるをえません。 第一回団体交渉の席上、組合側がこれを追及しても、渡邊校長は と全く反省の態度をみせていません。
やっと開かれた第一回団体交渉から8日後の7月18日、同校の一学期終業式の日、理事会は檜垣委員長を停職2週間(7月21日〜8月3日)とする懲戒処分を通知してきました。 理事会は「処分理由説明書」において檜垣委員長が
しかし、学園が問題にしていることは、
以下、学園が問題にしている事柄について私の考えを述べたいと思います。 理事会は、停職処分の理由として、まず平成10年6月24日の職員会及び平成10年6月30日の査問委員会における
ところが、どの職員会議においても、檜垣委員長が録音機を使用した事実は全くなく、また、平成10年6月30日の査問委員会における録音行為の正当性についてはすでに述べた通りです。 ついで、理事会は檜垣委員長が平成10年6月25日7時間目に授業を放棄し、これが
この点も檜垣委員長が授業を放棄したのではなく、うっかりと失念していたのであり、これを懲戒処分の対象とすることは不当であることについては先述の通りです。 また、その際に檜垣委員長が石崎教諭に対して「決して言わないで」と言ったのは、これまで一度も授業を失念したことのなかった檜垣委員長が自分の落度を恥ずかしいとする心情からでたものであり、隠蔽工作などというものではありません。 理事会は、「上司には決して言わないで」と檜垣委員長が発言したとしていますが、「上司には」という言葉を檜垣教諭は言っていないのです。言ってもいない言葉を付け足して、あたかも檜垣委員長が上司に対する隠蔽工作をしたかの如き表現は、事実の歪曲であるといわざるを得ません。 理事会はさらに停職処分の理由のひとつとして、檜垣委員長の授業状況、成績表管理、薬品処理の問題をあげています。 理事会は、ある生徒から教頭に届けられた「お願い文(騒がしい授業への不満を述べ善処をもとめたもの)」を示し、生徒は三人の教員の授業が騒々しいと言っていると伝え、檜垣委員長の授業を除く二教科の授業担当者は教頭の指導で正常な授業をすすめているが、檜垣委員長の授業は今でも騒がしさが絶えないと批判しました。 事実はどうでしょうか。 檜垣委員長が校長・教頭の指導を拒否した事実はなく、教頭の指導後において授業改善の努力を行い、その努力を継続しています。 檜垣委員長は、力づくで生徒をおさえこむというタイプではなく、学究肌の教員です。日本花粉学会に所属して研究をつづけ、また、同校生物部の顧問としても活動し、その活動ぶりは愛媛新聞においても紹介されているほどです。 教員にはそれぞれに持ち味があり益す。校長や教頭には、それぞれの教員ならではの持ち味を生かしながら、全体としてオーケストラの演奏の如く学校教育を展開するという発想や構想が必要であると思います。 成績表管理の問題として理事会は、檜垣委員長が、「生徒の成績表を理科室の机の上に放置していた(平成九年度)」としています。檜垣委員長が指導上の必要性から成績原票のコピーをとり、これを理科室に置いていたのは事実ですが、しかし、唯一の理科の教員である檜垣委員長が授業時以外は理科室に施錠しているわけですから「放置」していたという状況ではありません。 薬品処理の問題について理事会は、檜垣委員長が「劇薬の入った瓶を焼却場に放置し」たのは、「理科教師としての適格性を問われる行為である」としています。 事実は明瞭です。瓶は劇薬ではなくアセトンやエタノールなどの溶剤で、生物の授業で使い終わった空瓶です。 また、校内にはカン・ビン類の廃棄場所がなく、用務員が便宜的に焼却場の横に空瓶用のバケツを置いてくれていますので、檜垣委員長は担当している生物部の生徒にそのバケツまで持参させたのです。 以上の通り、桧垣委員長を停職処分とする理由はなく、不当な処分であることは明白であり、先の「戒告処分」と同様に理事会の不当労働行為そのものであります。 したがって、理事会は檜垣委員長に対する「戒告処分」「停職処分」をただちに撤回し、正常な労使関係の構築に努力されることが重要であると思います。 以上で私の陳述を終わります。 |